「 あるヨギの自叙伝 」と「 成功の実現等 」で説かれてることの内容についての比較考証

曲りなりに研究してきた範囲で述べるなら

 

 

淡々と客観考察するに

 

 

知人からも指摘されたことがあり、問題点という記事もあえて執筆しましたけど

 

ヨガナンダジの著書のほうが口述書より、最低でも、ひとつ以上段階が上のものでしょう。

 

 

 

( こんなこと書くと天風哲人と関係の深い団体や熱心な個人に怒られるかもしれないですが‥
あくまで中立の立場で研究してきたことを述べてるわけで・・個人の見解ということでお許しください・・ )

 

それに・・ひとつ以上階梯が下だから、その凄まじく尊い価値が下がる‥と言うことでは決してない。
だからって、天風先生のメソッドが色あせることは決してない・・という立場です。

 

 

 

 

 

それらの書の内容を相互に比較して、照らし合わせてみると

 

 

 

 

 

 ヨガナンダジも「 あるヨギの自叙伝 」等の書で

 

「 高次の見えざる意志の力は感じたり思ったり考えたりする心から出るものではない 」と述べてる。

 

 そういうふうに「 意志( Will Power )というのを定義をしてくださってる書が非常に少ないなかで、この書も、口述書同様、その指摘をしている・・という点で

 

  口述書に共感するような方が、営々と向上を続ける大宇宙の進化向上の目的に自らを沿わせたり
 自己改善に向け決断を底支えする高次の意志の力をどこに向けるべきなのか?といったことや、さらに内陣に穿ち入って、深い領域を探索し内的喜びを体験し、その喜びで心身を操りたいという場合にイチ押しできるし相互補完性があると思っています。

 

 

 

このことに関して・・天風哲人の口述書( 述書3部作 )で深く、かつ明確に述べられている心身統一行法と

 

「 あるヨギの自叙伝 」や「 人間の永遠の探求 」で述べられていることが、

 

それぞれ相互補完的関係にあるという指摘については、どういう意味ですか?ということで

 

 

これも読者の方から、ご質問と真意の確認があるのですが (^_^;)

 

 

相互補完的関係 ということについて、その背景を詳細説明するなら

 

 

 

「 あるヨギの自叙伝 」の著者のヨガナンダ聖者は、
行を完成した真のヨギの視座から

 

 人間の意志というのは、理性心や本能心等と違って心に所属するものではなく、
上位に位置するもので意志の力( Will Power )は、心( mind )とは別次元から出てくるもので、
出どころが違うのですよ・・ということを、その著書のなかでハッキリ述べています。

 

根拠を明示するなら

 

「 あるヨギの自叙伝 」の巻末資料を文献資料にして調べてみると

 

 

セルフ・リアリゼーション・フェローシップの目的と理想のところで

 

 

心は肉体にまさり、魂は心にまさることを、自ら実証して人々に知らせる

 

 

という記述もあるくらいですから。

 

 

 

 

ですけど・・・・

 

 

ヨガナンダ聖者のような行を完成した真のヨギならともかく

 

 

 

 

 

( 境遇や背景上 )先祖代々の因縁の氣の影響を受けたりして
自然界の発展の原則やら適者生存の法則・・はたまた調和と進化の原則から脱線し外れた・・
よくない行為を行ってたり、あまりにも煩悩や業が深い方もいるということ・・

 

( と言いますか、そういう方々のほうが圧倒的多数だと思うんです )

 

 

ヨガナンダ聖者ご自身も「 人間の永遠の探求 」という書で

 

世間はいわば精神病院のようなもの・・

 

ある人は嫉妬の病にかかっていて
他人のあら捜しを好んだり

 

ある人は怒りや憎悪や情慾の病に罹っている

 

 

彼らは皆、悪習慣と感情の犠牲者・・

 

と「 人間の永遠の探求 」という口述本の中で述懐為さって
嘆息してるくらいですから。

 

 

 

 

ごくごく普通の方ですらも、

 

 

調子のよい時はいいですけど

 

 

不運や不調などに陥ったりしたら

 

たちまち

 

心をして、自らがそうあったほうがいいに決まってるはずの

 

「 尊く強く清く思いやりに満ちた積極 」

 

というとこに置けないってことになりがちではないでしょうか?

 

 

 

感覚や感情の奴隷になりがち・・というのがスタンダードで、そこから抜けられなくてもがいてる・・

 

否・・自分が何に苦しんで、何が原因でこうなってるかもわけわからず
日々に忙殺されもがいてる煩悩塗れの庶民のほうが多いというのが実情で

 

 

自己訓練してる方だって、

 

 順風( 順調 )ならともかく

 

世間の雰囲気の影響を受ける中で心を積極に保つのは至難の業じゃないかと思うわけです。

 

 

 

 

この記事をご覧のあなたはひょっとしたら違うかもしれませんが口述書に縁があって心身統一法を知って実践してる方だって
実践を疎かにし行が深化せず心境が一向に変わらない・・境遇を打開できない・・あるいは、熱心に実践して、せっかく立て直した健康や運命が・・
悟後の鍛錬を怠って怠け癖が出て、行を怠ることで、またおかしくなるという方だっているらしいのですから。

 

 

こういうことを書いている私自身も、あの当時、無為無策でいたわけではなく

 

ダラシナク張りもなくなった自分を何とか克己したい、、悪習や欠点を克服したい・・

 

なんでこんなに弱くなったのか??

 

わがまま放題、放埓な感覚的刺激の制御や雑念・妄念の整理についても雑念・妄念、群雲の如しで気が散りやすく

 

( 当時 )何とかしたいと切に思って悩んでいましたので

 

 

 

 

 

 

そういった体験やらのっぴきならない悩みもあったので
「 習慣 」というタイトルに、すごーく惹かれて

 

 

 

ひ弱になった情けない自らを改善する解決策があるかもしれない、、と

 

期待を抱いて「 7つの習慣 」とかも書店で並んでるのを見た瞬間真っ先に、、即購入して貪るように読みました。

 

 

 

 

 

 ですけど

 

 

 

コヴィー博士が「 7つの習慣 」で述べていた以下の内容

 

 

 

( 以下 引用 )

 

「 後回し、短気、批判、わがまま等、生活を支える原則に反する

 

深く根付いた癖を捨てることは

 

弱い意志とわずかな努力だけでできるものではない・・

 

 

 

また、習慣は、知識、やる氣、スキルという要素からなっており、学ぶことも、

 

変えることも、捨てることもできる。

 

 しかし、それは応急措置だけでできるものではない。

 

きちんとしたプロセスと強い決意が必要なのだ。 」 

 

 ( ここまで )

 

 

 

このくだりを読んで当時、軽い虚無感、失望を感じたのは・・

 

 

 

 ちびまるこちゃんの友蔵おじいちゃんじゃありませんけど・・ 

 

 

 

本音の心の叫び( 心の俳句 )・・氣持ちは・・ですね。

 

そういう深く根付いた癖を少しずつでも改善していく方法が知りたいんだ・・俺は・・というのが本音でして

 

 

 

ふっとリラックスすると・・

 

 あんたみたいな意志が弱った人間・・

 

しかも、強固な決意もない・・根気も失せて、生物種としての生命を活かす力と生きる力が衰えて擦り切れているような輩が

 

「7つの習慣」を身につけるのは無理なんじゃないの?

 

深く根付いた癖を更改するなんて・・

 

 ちょっと、あなた・・身の程知らずもいい加減にしたほうがいいよ!

 

 

 

 と( 当時の私は )ふっと浮かぶところでは
思ってた( 思わせられていた )んですね。

 

( もうあの当時は挫折の連続だったわけで、この書も絵に描いた餅の一つだったんで )

 

 

 

 なぜなら

 

 

 

  ( 当時は)自己不信に陥り意志も弱り擦り切れ、枯れたようになって

 

 

 

 事実として根気も無くなって克己心も薄れていましたから

 

 

 

 そういった意味で

 

 

神経生理にも適った多角的アプローチで科学的に心を積極化する行法を知らず、
実際行を実践せず、
意志の力が弱くなって心が弱って感覚や感情に引きずり回される原因やこの力が出やすくなる行法を知らずに、

 

防御するすべを知らず、いきなり「 あるヨギの自叙伝 」を読む機会があって

 

「 高次の意志の力は感じたり思ったり考えたりする心から出るものではない 」という真理を知ったとしても

 

 

調子のよい時はよいかもしれませんが

 

 

 

意志の力と腹の力が弱って気持ちも沈みきり

 

見るもの、聞くものを取り締まる意志力も衰え感じる心が弱る原因を知らなければ対処のしようがないし

 

事柄に振り回され感覚や感情の下敷きになって、喜びに満ちやすい心でない・・心が明るく積極的でなくなってるような方の場合はピンとこないのではないか?

 

 

 

それに周りの雰囲気の影響やマスコミ対策なども含めて感化影響を受けますから、そういう方面の対策も必要になるわけで

 

心が消極化する原因をきちんと知らないと予防線を張れません。

 

 

( なかには何百万円もこういう分野にお金をかけても上手くいかない方もいるくらいなので‥ご報告では )

 

 

自身の生々しい実際体験上においても、なぜ?世の中が灰色にしか感じられなくなったり

 

なぜ?心を取り扱う権能のある意志の力が弱体化し萎( しな )びたチョロチョロ

 

ヘナチョコの子供のおもちゃの水鉄砲( 蛙のしょんべん )みたいになって心が弱るのか?
という根っこの原因と

 

 

 

  肉体及び神経生理や栄養面等からの多面的アプローチで

 

 どうやったら、覚( さ )ませることが出来て、生物というカテゴリーとして括った命の力が増えてくるのか???

 

 

 

 通常意識では自覚されない奥底の心を、一体全体、どうしたらクリーニングできるのかしらん??

 

 

というのが分からず散々探し回ったという経緯や

 

心を積極化する意志の力の渙発というのは、相当にお金も時間も使って悩み取り組んできた関係で
喉の奥底の底からグワーーーン・・グワーーーンと手が出るくらい欲しいレア情報でしたので

 

 

 

これ( 原因と対策 )の情報については

 

 

 

 相当に真剣に探しまくったリアルな体験上、、

 

 

 

 

 

私は、超敏感( 超辛口、スーパー・うるとら・・うーぱーるーぱー超絶・・マックス・シニカル )です。

 

 

 

 

 

 

 

( 自分自身の実体験上 )

 

 

 

スーパーうーぱーウルトラルーパー・マキシマム
無量大数超絶シニカルにならざるを得ません。( ← 書いていて意味不明ですが、クスっと笑っていただいて結構なので気持ちだけは汲んでやってください )

 

 

 

 

 

また

 

 

 

「 あるヨギの自叙伝 」の主張の一つである

 

物質的安定のみを求めても人は最終的には決して満たされることはないし、
情緒の満足や理性心を満足させる膨大な知識さえも私たち人間を満足させるに十分ではない。

 

 

人は壮大な問いへの答えを探し求めるべく創られているのだ・・ということが仮に真実だとして

 

 

 

 

 恐らくこれは真実なのでしょう。

 

 

 

 

 なぜなら

 

 

地位も名誉も権力も財力も人気も( 豊富で輝かしい人脈も )
もう吐いて捨てるほどに豊富に持ってたカルバン・クーリッジ米国大統領( 当時 )や
エルヴィス・プレスリーなどのような方々ですらも

 

「 あるヨギの自叙伝 」に強く惹かれたという事実が厳然と残ってる。

 

ということは、地位、名誉、権力、豊富な人脈、財力・・そういったのを豊かに満たしてすらも、人は満足できないのかもしれません。

 

 

それはそれで受け容れるとして

 

 ヨガナンダジのご講演やら、ご著書を死ぬほど熟読し精査して
( 「 意志 」というのは心の属性ではないのですよ )という( 真理、真実 )を発見したとしても

 

口述書等がバイパスしないと雲をつかむような気持になる方も多いと思うので・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういう意味でも優劣、、というよりも「 役割分担が違う 」ということ

 

 

 ( 天風哲人のメソッドのほうが裾野が広く万人向けで

 

 

  上根の方だけでなく

 

 

 

この記事を書いてる私のような、ごく普通の方でもレシピに従ってきちんと実践すれば
山あり、谷ありとは思うけども
実在意識ではそれと気づけない奥底の大きなゴミが少しずつ取り除かれていくメソッドでして

 

ヨガナンダ聖者の方法は、文献を調べれば調べるほど

 

心身統一法が扱ってる範囲を超えたとこを濃厚に扱っていて

 

より精妙な方法で、もう相当に資質があって、上機根で
土台と準備が整った最上根の方が、より洗練されるための方法を提示しているように思えます。

 

天風哲人の口述書から見たら

 

口述書では、カリアッパ聖者が語ることは、そんなに多くはないですが
「 あるヨギ・・」は、カリアッパ聖者と同等か、それ以上の真のヨギという方々が多数登場し
大波、小波が打ち寄せるように登場し、濃密に語ってるところもある。

 

 

 

それ故に

 

 

 

 

優劣というより

 

 「 相互補完性がある 」とみています。

 

 

 

 

その一方で

 

 

個人的な希望は「 あるヨギの自叙伝 」等は、出来ましたら、
まずは公立図書館等で借りて、じっくりお読みになっていただけると
私のささやかな苦労( 本音は、ライフワークの一つとはいえ探し回るのに
物凄く泥臭い苦労をしたこと )も報われます。

 

 

 

 

 

 これ( 「 あるヨギの自叙伝 」等 )につきましては、
キリスト教国家( キリスト教圏 )で節度ある謹厳で清廉な生活をしていて、
真摯に求めるけれどもなかなか渇きを満たしてくれるものに出逢えないと呻き嘆く・・・

 

そういう心の底の渇きを感じている人のために準備されたような内容でして

 

( あくまで、私の主観では )より純な内容ですから。

 

 

 

 

( 追記で )

 

 

「 今のような複雑で( 感覚を誘惑させるものや )
雑多な刺激の多い現代社会に生きていて、 パラマハンサ・ヨガナンダみたいな生き方は
無理なのではないでしょうか? 」

 

 

 

というコメントをくださった方もいらっしゃいます。

 

 

 

 

 

 確かに、ヨガナンダジの影響を受けたと公言している有名人は、
歴史的な巨人としてはマハトマ・ガンジーやルーサー・バーバンク、、、、

 

 近年では、スティーブ・ジョブズ氏のipad2に唯一入れていた電子書籍がヨガナンダジの著書だった・・
というくらい影響を受けたと公言し、この方がお亡くなりになった追悼式において、氏の家族から、氏と親しかった、
この式の大勢の参列者に、この本が次々に手渡されていった・・( これが氏の最後の遺言だった )というくらい
この本に惚れ込んでいた・・

 

さらにはエルビス・プレスリー・・・ビートルズのメンバーの一人だったジョージ・ハリスン・・
ジョージハリスンも、「 あるヨギの自叙伝に出会ってなかったら今の人生はない。
くたばっていたか、最低の人間になっていたはず。
不毛な人生にならず、意味を与えてくれた。」 と公言してたらしいですが・・

 

 

それ以外にも

 

篤志家としても有名だったコダックの創業者 ジョージ・イーストマンらが
「 生き方 」「 生き様 」のところにまで強く影響されたと公言しているようで・・とにかく沢山いらっしゃるようです。

 

 

 ただ・・やはり、ヨガナンダジの方法は、
( その著書を拝見し研究する限り、人によっては現実感覚に乏しく浮世離れしている・・
という感想を抱く方が多いはずで )非常に高尚な内容でオージャスのコントロールのことも匂わせてるので
一筋縄ではいかない。

 

それに、天風哲人の現実的方法を熱心に実践して、そういうリアリスティックな行に慣れている方の場合、
圧倒されて、とても届きそうにない・・と感じる方も多いのかもしれません。

 

 

 

 「 あるヨギの自叙伝 」を公共図書館で借りるなりして読んで、ピンとこない・・喜びが増していかない・・というのであれば、いったん保留( 棚上げ )という手もありやと思います。
 ( 私にとって日々の喜びの糧になって良かった本があなたにとって良いとは限らないんで・・ )

 

 

ですが、あまり喜びを感じない・・味読しても日々に喜びを感じる機会が増えていかない・・
さらには、とても届きそうにない・・と感じる方でも「 あるヨギの自叙伝 」の登場人物から失敗要因と成功要因を探って自分にとって必要な解を見つける方法に書いたような分析的読み方をして、脇役の方で、バッドエンド化した方がやってるようなことで、自分でも真似しないように出来そうだな・・ということは、真似ないようにする・・
今まではやってたとしても、今後は真似ないようにする
くらいなら取り組むことは出来るんじゃないかと踏んでるんで‥

 

いずれにしろ

 

 「 あるヨギの自叙伝 」のような、さらに次元の高いものと同調できるようになるには
 天風哲人が薦めている潜在意識のクリーニング行などの心の奥座敷のウィルス駆除のより熱心な励行と体の訓練・・

 

 意志の力が出て働きやすくなるように心を清め強くし心身の統御力を高める自己陶冶すること・・三勿( 恐れず、怒らず、悲しまず)と
三行( 正直、親切、愉快 )の心がけや安定打坐で
喜びを味わう・・その喜びで観念要素の更改行のような直接的な方法でやるのと同時に

 

間接的に仮我の心の奥底に溜まった大きな芥( 雑念妄念 )を取り除いて積極的な体験に伴う真新しい感覚で入れ替えてやる。

 

 

併せて見聞する情報を取り締まったり神経反射の調節法で情緒を安定させていく等
 心の態度が心身統一を自然に促して生かす力を受けやすい
生き生きした積極に向きやすいように仕向けて純化していくことが大事じゃないかと思ってまして・・

 

 

 「 あるヨギの自叙伝 」は肌に合うかどうかは背景にもよる・・・

 

 

 

 

 

 

 

しかしこれは言える・・

 

 

「 あるヨギ 」は、心身統一の生活が板について、馴染んで・・それでも、内的渇きがあり魂の深いとこで満足できないという方で

 

 

    何らかの岐路にぶち当たってる方が読むと「 ヨギの生き方 」というのに理解があるし対応できる土台があるので入りやすい内容・・・

 

 

という考えです。

 

 

 

 

 

 天風哲人の地に足の着いた行法を実践することで心身を実際的に強くし

 

生かす力をバックに直覚的本心良心どおりの行為が出来るように日々心がけ悪習の克服や内面的向上に取り組む。

 

 

 その一方で 「 あるヨギ 」をガイド役にした瞑想で( どんな瞑想であろうが )自身の内側に深く潜って内的喜びを
深奥に探る・・

 

ちなみに、瞑想は今では世界的企業のGoogleやapple・・マイクロソフト社・・フェイスブック等の幹部が取り入れていて
多くのメディアでも取り上げられNHKでもマインドフルネス瞑想などを特集をするほどに社会に認知されてきています。

 

 

そういう心を雑念妄念から離した取り組みをすることで得られた深い喜びを( 日常意識に戻った時も )内的喜びとアクセスし感じやすくなるので、日常生活でも、その喜びに停まりやすくなることで感覚の束縛から解かれやすくなる・・・というようなルートで新しい生き方を目指すというのも、とても難しいものではありますが割と楽しいのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

なお

 

「 あるヨギ・・」については、私の中で秘して止めておいてもよかったんですが・・
 その一方で時代はどんどん進展してるんで・・もっと追求したい方も出てくるんだろうと思い
比較考証という形をとることにした・・ということですので・・ご容赦を・・

 

 

 

 

 

 

 

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