パラマハンサ・ヨガナンダ著の「 人間の永遠の探求 」という本

 

 

これは求道者のための本と言ってもよい本で非常に高度な内容です。

 

ややボカシて内容を要約抽出して書くと・・

 

 

なお、この本は、さらにビジネス・キャリア形成ジャンルから
さらに離れて求道者向けなので
ひいてしまう方もいるかもしれないですが

 

 

 

 

 

この地球という星に肉体をもって生きてるときも
次元を異にする世界の一部の世界で暮らしてるだけで

 

現在は肉体をもって生きてるという位置づけでして

 

今肉体を有して生きてる地上世界は、それよりも、とてつもなく広大で
次元を上げた高次元の世界と分断された世界ではない。

 

( その世界に取り込まれるようにして人間は永遠の探求を続けながら生活してる )
という世界観で論旨展開しています。

 

 

 

 

なかでも印象深かったことを中心に雑感的に書くなら

 

 

 

●人は人生の終わりの部分の生活の仕方のほうが始め〜中盤の頃より、はるか彼方に重要で
人は死んだら無になるわけではなく死後も意識は継続しており
肉体から魂が離れ解放されたら、より広大で高次元の世界に入ることになる

 

 

この説を、仮説として受け容れるとして・・
では?自分の肉体から解放された後に残された人たちに、私は、どういう形の進化向上発展のための善き関わりを持てるか?
ということについてはめちゃくちゃ知りたかった内容ですけど・・残念ながら、そのあたりの詳細な言及はなかったのですが

 

 

 

< 入念に吟味的に読むと >

 

 

●カルマの法則「 原因と結果の法則 」 「 因果応報 」 「 自業自得 」「 善因善果 」「 悪因悪果 」というのは
絵空事ではなく時空を超えて厳正な法則として働いている

 

●人によって大きく異なる運・不運の不公平さや生まれながらの霊性の高さや発菩提心の強さ・・
惹かれゆく傾向性の差に対する完全な納得できる説明は過去世含めて
自分が蒔いたとおりに花が咲いて、苦しむ収穫になるか愉しむ収穫になって
運・不運を円環させていくという因果の公平則によって補償、補完される

 

●どんな悪辣な人であろうが良心的で慈悲と愛に満ちた誠実な人であろうが
最終的に入るとこは天国であるのは決定事項であり、そこしか本来の住処はない。
全ての人はみな至福の天国に適するような相ふさわしい本来の聖なる至福意識状態と無垢な善性を完全に表し取り戻すに至るまで途中間違った行為や欲望のために自分で穴を掘って浄化や進化が遅れたり
( 自由意志の力を )善なる行為や日々の自己訓練の努力・・思い遣りに根差した恩恵の分かち合いの行為や公の発展のために力を尽くすプロセスで喜びを重ねることに用いて
意識の浄化と進化を重ね速度を速めたりしながら失敗から教訓を学び
高い世界に進み本来の意識状態を取り戻すまで地上を含めた転生が繰り返されてゆく・・

 

 

といった趣旨のことが説かれています。

 

 

なお、こういった説については、いくら聖者が語ってることでも
こればっかは、お陀仏になってみないとわからないことなので、私の場合は棚上げしてるとこも一部にあります。

 

( 恐らくそうなんだろうというピンとくるものはあるし、この分野は、十代半ばの某体験を確かめるために
学生時代にスウェーデン・ボルグなどの著作他を貪り読んだことあるくらい熱心だったんで
生温かく認めてるんだけども・・
 ちなみに・・スウェーデン・ボルグについて、ご存じない方も多いと思うので簡単に解説するなら、
この御方は自然科学、数学、物理学、哲学、心理学など20もの学問分野で、
多くの業績を挙げた天才でして現代だったらノーベル賞を10個以上は獲れたんじゃないか
とも囁かれているマルチな方です。
おそらくレオナルド・ダビンチですら及ばない埋もれた巨人といわれてる方なんです )

 

 いずれにしろ何を信じるかは自由だし世の中には死んだら全て無に帰するということを信じてる方もいるし
生きてたら人生観や考え方も変わる。揺らいだりすることだってある。

 

 私も、あまり興味本位にこの分野に首を突っ込むべきではないと思ってる人間の一人ですが

 

 確実に言えることはある。

 

それは、死後も何らかの意識状態が継続していると仮定しても、

 

肉体由来の感覚が消失した後の意識状態の存続というのが実際には如何なるものか?

 

それは体験( 要するに死んでみないと )実際の答え合わせは出来ない・・ですよね。

 

 

 

もちろんヨガナンダ聖者が語ってることが誤りで、死んだら、すべて無に帰すのが正しいのなら

 

理論的に考えて確実に言える事は、感じることも思惟することもできないのなら

 

答え合わせすらできないってことになる。 なぜなら全てが無に帰するのだから。

 

 

ですので、お陀仏になった後も何らかの形で意識存続してるとして
1日1日を実意丁寧に生きるほうが論理的にも聡明な生き方だろうというのは
あるのかもしれないな・・というのは認めてるとこもあります。一応・・

 

 

 

そうとはいえ、死んでみないとわからんことは、保留、お楽しみにして・・

 

生きてるうちは、生きてるんだから形而上のことも理性のふるいにかけて決して妄信はせず
そういう考えもあるのか・・と柔軟に対処しながら死を意識しつつ生を精一杯輝かす・・でいくのもよいというスタンスです。

 

 

なお

 

 

さらに、この本について、もう一つ敢えて付け加えるなら

 

 

 

 

この本を俯瞰的に全ての章のピースをパズルを繋げるようにして読むと

 

 

バイブルで定義されてるような人間智では、はかれない
何か巨大な全能力ある善と愛に満ちた主体が、おわしますなら、なぜ?Why?
その大いなる権能を行使しないのか・・ほっとくのか・・

 

人間智では、はかれない何か巨大な力ある善と愛と調和に満ちた
全能なる無限の見えざる主体が、おわしまして、創造なさったのなら
どうして、世の中に犯罪、戦争、病などの「 道徳悪 」や
災害などの「 自然悪 」が存在し、生きとし生ける生命を苦しめ
人を苦しめ悩ませるのだろうか?等といった内容

 

 

やら含めて

 

「 多くの心ある真摯で誠実な哲学者や神学者を悩ませてきた幾千年来の問い 」について
人間の自由と自由意志と絡ませながら一定の理論的解答を与えてることが判明します。

 

これが理解できて、わかったからとて国が背負ってるものや地域、民族が背負ってるもの
代々の先祖の背負ったもの、家族、個人の入り組んだ問題が一挙に解消されるわけではないけども

 

とにかく、そういう方面に解を与えてるのには、もうびっくり仰天する方も多いかもしれない。

 

ですので、そういうことに強い探求心があって焦がれてる方にとって
お薦めの本と言うことになるのかもしれません。