心身統一法 実行項目概観、実践の所要時間
心身統一行法は、クンバハカ密法ひとつをピックアップしても、その方法自体はシンプルで実践的なものばかりです。
だからと言って日々の生活における応用範囲が狭いというわけでは決してありません。
天風先生のメソッド自体が理論も秀逸な実践体系ですが抽象化した方法論で言語定義してるとこもあるため
例えば感応性能を強化するための 「観念要素の更改」( reformation of the notion factor ) とか
「積極観念養成」( cultivating of positive notion ) とか
「 神経反射の調節法」( regulating of nervas reflection )とか
一段階上のレベルで
抽象次元に高めてるので
日本だけでなく各国の文化や伝統、宗教や思想の現状に応じて
風土に合わせて応用展開されると思っています。
言葉の定義からして隙が無いと思っています。
定義の仕方からして、本当に心底から人間の心( 精神生命 )及び肉体生命( 体 )
そしてそれらを繋ぐ( 神経系統 )の相互依存関係などを熟知し
人間の生命のあり方のことを知っていて
悟った後に自分が出来るだけでなく、ごく一般の方でも最大成果が出る形で
それぞれの立場で生きがいある生活が出来るように緻密に組み立ててる。
本当に、わかった方( 悟った方 )じゃないと
これらの言葉の定義は出て来ないはずだし
これだけでも、すごいのに圧倒されるし隙が無く洗練された実践体系でしてドーパミンが出ます。
このメソッドは、さんざん取り組んで駄目だったような私みたいな人間でも
地道な実践継続と研鑽で自身を変える実力を強く感じたわけで
シンプルでありながら人を生命の底から変える妙力があります。
ごくごく普通の人でも届きやすく生命の底から変える力を得て
現実的に向上していくメソッドとして
最も実現可能性が高く、最も効果が高いアクション項目だけが
既に天風哲人の慧眼とたゆまぬ検証によって選りすぐられ絞り込まれています。
本当に成果をもたらすたった数項目のアクションに集中するだけで
生命を根底から蘇らせ心身を尊き清く作る・・心を尊く清くする・・心を取り扱うという点で
短期間のうちに最大限の成果を得る方法として体系化されている。
打ち込むに値すると強く思ってますので。
さて、ここであなたに質問ですが・・
獰猛な虎を一瞬で大人しくさせるような加持力がつく行法を授けてくれる機会が、あなたにあるとします。
しかし身につけるには全てを投げ捨て20年熱心に弛まず過酷な修行をする必要があり、
時には首がひん曲がるほど、教えを受ける導師から、ぶん殴られることもあります。
それでも、逃げださず、投げ出さず、ひたすら堪忍して、信じてついていけば
獰猛な虎を一瞬で飼い猫みたいに大人しくさせるような神秘の加持力がつく可能性がある行法です。
もし、この加持力が身につけば、この加持力を使ってストレスにも負けない強い力が作製され生活も頼もしくなり仕事もきちんとできます。
ただし、先に述べたように全財産を捧げ尽くして所有を放棄し20年インドの山奥に入って修行しても、
そういう類まれな神秘の加持力が誰でも身につくかと申しますと‥その保証は全くできません。
それが身につくのは、ごくごく一部の方で、全てを捨てて熱心に取り組んでも1万人に1人もいません。
次の段階に行を進めることができないで、、、
心境も変わらず行ったり来たりして余生を過ごす人も、あまりにたくさんいます。
と云う神秘的な行法と
もう一つの行法も授けられる機会があなたにはあります。
こちらのほうは、最初に教えられた時点では獰猛な虎を一瞬で大人しくさせるような神秘の加持力がつく・・とまではいきません。
しかし
とにかく、教えられたそばから今の状態よりは、感覚や感情のショック衝動を和らげ、そういうのに心が揺さぶられ難くなり心も安定しやすくなって
人事世事のごたごたや仕事のこと・・家事、育児も( 以前よりは )張りを持って、悠々とした心境でやれるようになります。
( 聞いたそばから実行でき )
神経の興奮を鎮めやすく
気持ちを張らせやすく感情も下腹に鎮まりやすく安定しやすくなり
悠々とした気持ちで日々を迎えられる現実的でクールでシンプルな 行法です。
この方法を、ほんの3,4分で、ちゃっちゃっと教えてもらって、
それを、すぐに自身の生活に応用し後でじっくり深化させ練っていく・・そういう実務の行法があります。
あなたが、仕事上のこと・・部下の事や育児・・色んな人事世事に悩んでいて、日々が生き辛く感じる。
不満や悩みに心を占領され、自我が傷付き、その痛みに喘いでいて
心も弱って神経も異常興奮しやすくなっている・・という自覚があるので、何とか自分の心を強く尊くしたい・・
世事の不満や悩み・・漠然とした不安に巻き込まれ絡み取られないような平らかな心身を作りたいと思ってたとして
どちらか1つを選ぶ機会があったとしたら、どうしますか?
どちらを選びますか?
20年以上かけて厳しい修行でやる神秘の行法ですか?
これを習うことで獰猛な野生の虎を一瞬で飼い猫みたいにすることが出来ます。
その神秘の加持力を応用すれば世事のごたごたや不満や悩み・・漠然とした不安に巻き込まれ絡み取られないような心持ちを抱くのは容易かもしれません。
しかし、身につく保証は全くありません。
持てる全てを投げ捨てて、ひたすら耐え難い修行をし、導師を信じてついていったとしても挫折する( 脱落する )方がほとんどです。
あまりの難しさに辛すぎて逃げ出す方も大勢います。
それとも3,4分ですぐに伝授され実践できるクールな行法ですか?
後者のほうが私は良いなぁ・・野生の虎を一瞬で大人しくさせるような神秘の加持力を身に着けるのは魅力的だが・・
うーーむ・・全財産投げだして只管打ち込んで・・20年以上かけても、それが出来るかわからんとか嫌だ・・
それに、私は野生の虎がいるインドの山奥やスマトラの山奥に行く機会もないので・・
という方は、心身統一行法を学び実践するのに向いた方です。
心身統一行法は、インド哲学的内容をさらに洗練し
成果に直結しないものを省きに省いたものです。
あまりにもシンプル
人知れず行えて道理にも適っていて実際的・・リアリスト向きですから。
何度も書きますけども
心身統一行法は、生命の根源にアプローチして神経生理の側面も併せて相乗的に生命の振動力を高め、日々を暮らす際の感じせしめる感受性を滋味深いものに立て直し、生活の味わいや生きがいを感じるようになっていくもので日々の生活に密着した生命哲学です。
人知れず行えるものばかりでして
日々の生活に密着した生命哲学なので、生活のなかに織り込み溶け込ませることで、その効力が発揮されやすくなります。
方法もいたって簡単でシンプルでクール・・・面白い・・・時間も要しません。
出来れば、「 成功の実現 」等攻略外伝 読み方秘伝を参考に
「 成功の実現 」等の口述書から、自分にとっての課題や「 解 」を純度の高い原典から主体的に・・自分で探すのが、自分で自分をリードするという意味でも、よい・・そして習慣化していけばよいと思いますから。
実践項目の概観と、メインなものの実践項目( どういうことを心がけるか?やり方 )と所要時間を少し核心を微妙に、はずした説明をするなら
先ず観念要素の更改の連想暗示については
●心が暗示感化されやすい「 寝入りばな 」を綺麗な気持ち・・積極にするというものです。
これは潜在意識にアプローチするメソッドでして
普段自覚できるのは意識( 表面意識 )なのですが、
それよりもはるかに深いところで、
はるかに強い力で私たちを動かしているのが、
阿頼耶識( 潜在意識 )と呼ばれているものに当たります。
潜在意識に消極的な観念要素が溜まっていたら
感じ想うための材料自体が汚れているため心を積極化することは出来ません。
しかし、アプローチする方法がいくつかあって
意識水準が日常意識より下がって
ボワーン・・うとうとした半睡半覚のとき
さらに、そこから意識が下がってとろーーんとした七睡三覚くらいのとき
このときに思い浮かぶ連想や内語を尊く清く積極で愉しいものにすると
ダイレクトに潜在意識に働きかけがされて心の積極更改が可能になっていきます。
( もちろん習慣にし継続しなければいけませんが )
寝入りばなの心の持ち方が消極的で暗く汚いもので塗れ、それを続けてると
潜在意識の中の印象貯蔵庫の思考原料を提供するとこの
観念要素が消極要素で充満していき
これが消極的なものであった場合は
日常意識が積極になれるわけがありません。
ですから
意識水準が下がって潜在意識に積極的な連想を流し込みやすい寝入りばなは
断然きれいな気持ちで寝入るように心がけ
楽しく気高く麗しい・・晴れ晴れし純真無垢にする。
そうすることで
生かす力が静々流れ込みやすくなり
感じせしめられる感応性能も本来の調子を戻していくことになります。
寝入る寸前の心の持ち方を感謝に満たした思いにし、これを習慣づけることで
日常意識では自覚できない心の奥底を洗いつつ、潜在意識の印象貯蔵庫を、よい材料に入れ替えていくことができます。
( 鏡を用いた就寝前の命令暗示や起きてすぐの断定暗示もゆるやかに観念要素の更改に貢献しますが
これらを入れても1日数分で済むのも有難いですよね。
※私の場合は、この項目を当時、一生懸命やりました。4日くらいで新鮮な何かの微かなものを感じたので疑う暇がありませんでした。
2週間くらいの真剣な実践で更に微かな何かが固まっていきいけると思う何かを感じ出しました。
さらに継続して、これを真剣になってやって40日只管続けたところ、言葉で表現するのが難しいですが、
心の深いとこの何かを変えられた
私のようなのでもできた・・どんなに、いい方法教えてもらっても、どうにも腑に落ちず気が付いたら止めてたり・・気持ちにむらがあったのに・・淡々と楽しく遂行できている・・
何かを変えれた・・といった実感が生まれ、実際の仕事などでも良い結果が出たのを記憶しています。
これを、かけがえのない原体験にし、不安や恐れは、そのまま受け容れ、
その一方で「 生かす力 」に支えられながら頼もしいものを作っていく・・ということに強い手ごたえと面白さ、有難さを感じた記憶があります )
特に実践初期の頃は、あまり期待しないでやること
( 最初の頃の感覚は些細なので‥こんなものなのか・・とがっかりしないというほうがよいかと人それぞれとは思いますが )
「 神経反射の調節法」( regulating of nervas reflection )については
●肛門、肩、臍下3寸の3点を意識し、外界から強いストレスを受けた際に、肛門を締め上げ精気を上げ、同時に肩の力を抜いて腰の仮想空間に温かい生命エネルギーを満たし、感覚統合することで、そのストレス刺激を臍下3寸のとこで受けることになり、ストレスをやわらげ・・自律神経にダメージを与えない・・本来制御不可能な自律神経を間接制御する特別な行法です。
自律神経の調子が崩れて太陽神経叢の血流が滞ったり氣が上半身に淀み過ぎてたら
思考や気分に影響を与えますよね。
そういうのを体の特別な持ち方で自律神経を守ってやり心の健全性や積極性を守り保つのに優れた方法です。
( 心身が刺激を受けたときや心が揺さぶられた時に、その都度 ※私は自分で創意工夫していますんで・・少し自分の感覚を含めた言葉で書いてますんで、原書で必ず確認してくださいね )
ちなみに
天風哲人が発見したクンバハカで生命の炎が発散されやすくなる。
これ・・拡大解釈すれば、いくらでも周りからサンプル収集( モデル学習 )できるかと・・
人間国宝と言われるような能楽師とか・・生命のオーラが燃え輝くような舞を踊れるような方は
自然クンバハカになっていて、技を練習で練り練って本番の舞台で無心で踊ってる時、その方の氣は大きくなって輝いて周りを心地よく陶然・・うっとりとさせるはずです。
練度を上げてそれと知らず氣を練った超一級のアスリートがここ一番の大勝負を挑んでる時や
超一流とされる芸術家・・経営の才がある実業家が理想に燃えて粉骨砕身してるとき・・
超一流の歌手が精魂を込めて歌ってるときしかり・・かと・・
お相撲なんかでも、番狂わせが起きるような時は、必ずと言ってよいほど
負けたほうの力士さんの生命のオーラが弱ってるか・・
あるいは
番狂わせを興した勝ったほうの力士さんのほうが氣の力が大きく上回っていたりする。
この記述で、「 なあんだ・・じゃあ実際法知らなくてもやれてる人がいるってことになるじゃないか・・ってことはクンバハカって大したことないんだ・・」
と思われた方は、以下をじっくりお読みください。
いくら超一流のアスリートや芸術家・・すごい実業家でも・・こういう方法を意識して行い生活行事として習熟させていかなきゃ・・
クンバハカで生命のオーラが出やすいのはスポーツしてる時だけ・・歌を歌ってる時だけ・・
ってことになって
ある意味偏ってしまう・・
日々の生活は、別に仕事だけじゃないわけで、仕事から帰ったら、家庭人として父親や母親の役割を果たさにゃならん方もいるだろうし( 家事育児、その他 )・・いろんな付き合い含め立体的かつ多面的な役割や側面がある・・
そういう生命を表現する生活空間のなかで生かす氣が入りやすくなって、日々の出来事の諸事万事に感情や感覚の奴隷になり追い使われ難い行法を編み出した・・生活行事に密着化できる行として洗練化した・・ということが凄いわけなんで・・
生活行法なので習性にしていくことで、その効力を日々の生活で、ゆっくり実感していくことになる類のものですから。
実際、天風先生のクンバハカを人知れず意識し習いにすることで
「 心が動揺し難くなり人生が少しずつ変わってきました・・」という実感の感想を寄せてくれる方も
夥しくいるんで・・あながち嘘ではないでしょう。
なお
クンバハカ密法については、今はいろんなブログでピックアップされています。
ご自身で検索するなどして探して、自分の体でテストしたらよい・・自分の体の感覚で、力が漲る感覚があるか?確認することです。
そして条件反射にすることです。
※極論すれば、肛門をキュッと締めて肩の力を抜いて・・
「 よーーし、世のため人のため頑張るぞー!!とか・・
「 ●●のために、よーし・・いっちょ気持ちを入れ直そう! 」・・
のよーし・・と前のめりの気持ちを臍下に込め空になった刹那・・氣が充実し満たされ心地いいクンバハカになってるんじゃないかと・・簡易法ですが・・あんまり難しく考えないほうがいいかも・・(;^_^A
※ちなみに、そこからフローやゾーン状態に入れず力が漲る感じがなく、すぐに気が抜けるぞ!全然だめだ!あんたの方法は・・
と感じる方は、それはこちら側の責任ではないので・・ご容赦を・・
そういう方は生かす力に対する観がないということ・・
さらには自分でも自覚されない表面意識よりも、もう一階層深い潜在意識の奥底に、
高い澄み切った集中力を維持できているフロー状態や超集中状態ともいえるゾーンに入るのを
抵抗させる消極的な連想材料< 雑念妄念素 >が刷り込まれて、夾雑物が多いということ・・
これまで、こういうことを知らず心身の使い方を練習してこなかったはずで、急に入れはしない・・
自分のこれまでの体の近い方、心の使い方などを含めた杜撰な生活を棚に上げて、そんなことまで私にぶつぶつ文句言われても困るんで・・(;^_^A
生命を活かす見えざる力に感謝し潜在意識領のクリーニング行法を丁寧にし、雑念妄念を奥座敷から除いて、心(身)の取り扱い方を生かす気が入りやすくなるようにトレーニングをし、仕事のやり方を工夫することです。(;^_^A
ヒントは、3分だけ・・とか、この問題だけ・・とか、経営戦略、マーケティング戦略立案書の1項目だけ・・とか・・
このプレゼン資料のこの1項目だけ・・とか、事業提携・共同研究契約書起案書の細則の2行だけ・・とか
医学論文でしたら、研究テーマの背景<沿革 >や目的、臨床試験等で検証した仮説の要約3行だけ・・とかいうふうに
小さな単位に区切る・・そうして小さく始めて取り組むと意外に深く入れるようになる。
「積極観念養成」( cultivating of positive notion )については
●自身を照見できる意志(氣)の能力で自分をよく創る対象と見て少しずつ積極的に耕す行法です。
これを要約するなら
※心を観察する・・具体的には出やすくなった意志(氣)の能力で自分を観察しつつ、外界から入ってくる印象にも検査を入れるようにし
心を乱したり生命を萎縮させたり、肉体本位の本能心のわがままや雑念妄念を増長させるもの・・そういった雑念・妄念になるようなもの・・後で、後ろめたい気分になるようなものとか・・で、避けられるものは避け
より尊く清く心が清新で明るくなり強められる外界の印象を摂取するように努める( 暗示の分析 )
さらには
意志(氣)の能力で自身の観察状態を保って・・自分を客体化すると言いますか・・あるがままに観てるような状態にし
気持ちが弱ってるな・・暗くなってるな・・と検知したら
その自分を対象格と照見できて、かつ凛とした態度で応じれる眉間のやや上の奥から出やすい意志( 強い氣 )と下腹の連動力で・・
その自分を積極的言葉や連想をツールにして勇気づけ鼓舞して
腹と併せて大らかに耕して本能心を鎮めて明るく朗らかな方向に持っていく( 内省検討 )
( 人知れず、その都度 )
※古くから言われている自分を俯瞰して客観的に見る視点に生かす氣と自身の意志(氣)の能力を加えて、多面、多角化し、立体的に心を観察し明るいほうへ・・強いほうへ気持ちを向け変え腹を練って、自分自身をしつけていくということ
その他
●心を超えた「 ( ただ在る )( 吾ある )という限りなく静寂で純粋な場 」に入り
留まる練習としての「 安定打坐法 」 ( 1日数分程度でも可 )
※正直に書くと私の場合はブザーや鉦方式での安定打坐はここ数年以上前からやってない・・違う方式でやってる・・
●その他 話すだけで氣を消耗させるような方は避けれるものなら避けて( 距離をおき )
出来るだけ魅力的で元気な人、積極的で明るく幸運な人と交流することを心がける
以上のようにシンプルで、面白い行法でして、もう語り尽くせないくらい深い・・とにかく、自身の体で実践しテストし研究してくれ・・と思ってるわけですが・・この単純明快で地に足が着いたことを1日の生活の中でTPOに応じて実意丁寧に行うだけでよいのです。
コツと言うことの程でもないですが
自分を動かしている( 感覚せざる、感ぜざる領域の )ひとつの氣・意志にはっと気づけるか?がひとつのポイントかもしれません。
気づき始めると進化を促す大きな何かの力も漠然と感じるようになり
その一方で進化を妨げる低我の働きにも気づくようになると思います。
いずれにしろ現代の生活は、とても便利で快適になっていて
電話一本でタクシー・・インターネット注文で欲しい品物がすぐに届く・・
リモコンのスイッチを入れればテレビをすぐに視れる
車、バス、電車、新幹線・・で移動も楽々
ちょっと寒くなったらリモコン一つ・・スイッチ一つで暖房、暑くなったらスイッチポンで冷房、手軽なコンビニ弁当・・宅配もしてくれる
こういう便利さや快適さに、あまりに慣れて飼い馴らされたままでいると、
そういうのを真に底支えしている、生き物としての強さ・・見えざる生かす力を忘れ、たくましく・・く精いっぱい生きていく根源と言いますかに配慮がなくなって
生物種としての生命力の低下に拍車がかかるような気がしています。
なので、情報の氾濫した現代人ほど、このシンプルな生命哲学を主体的に学び、シンプルでクールな行法を実践し研究する必要がある・・という気がしてなりません。
そういう気がするから、性懲りもなく、こういうサイトをまたわざわざ作ったというのもあるわけなので・・