「 あるヨギの自叙伝 」の登場人物から失敗要因と成功要因を探って自分にとって必要な生活指針を見つける方法

「 あるヨギの自叙伝 」は、多くの方の人生を実際的に変えてきたと言われています。

 

 

「 あるヨギの自叙伝 」を読んだ方の書評( 一般 )

 

 

 

私も、少しばかり速読が出来るようになってた関係で「 あるヨギの自叙伝 」を相当に読み込んで

 

その後は、各章をこれからご紹介する同じ立場に置き換える形で、どうすべきだったかを検討するというやり方で
少しずつ発見的に読んで・・

 

日々の仕事や生活に、その教訓を自分事としてとらえ無理ない範囲で少しずつ溶け込ませるようにしたところ・・

 

 

凡々と生活も締まってきてシンプルになっていきました。

 

 

体験上、自分にとって良かったし

 

この書も自助の精神をバックボーンにしていて
コンセプトにも沿っていたので、条件付きで、お薦め本としてピックアップしました。

 

 

ですが

 

「 私によかったからって他人にも良いとは限らないかもしれない・・

 

人それぞれの生命観や価値観・・背景的なものだってある・・ 」というのは心の隅に留め置いてはいます。

 

 

肌に合わない場合もあるかもしれない。

 

 

 私の場合は、たまたま背景( 境遇 )的なものの故か・・

 

工学系だったのにも関わらず

 

学友に冷ややかな目で観られ浮きがちになりながらも

 

学生時代にバイブルを読んでたので入りやすかったとこはあるし

 

 

誤解を恐れず書くなら

 

感覚の認識する・・五感で感じられる世界が世界のすべてじゃなかろうに・・
現に人間には感知できない音や光を感知する動物もいるだろう。

 

虫の知らせとかもある・・

 

 

 

そこから論理が飛躍するけども

 

個人的には、( 体験上も )高次の領域の導きや働きっての・・´ある´と思ってまして

 

 

五感を駆使してもけっして感じることのできない領域が「 ない 」と考えるほうが非科学的だろう・・

 

 

世の中は人間智では、はかれない高次のものがある・・・と考えるほうが理にかなってるだろう・・・

 

という大枠の漠然とした考え方で捉えて読んで研究してるというのがあります。

 

 

 

 

ですので、ある意味では、別にこれらの本に限らず、( この本以外でも )

 

 読んであなたが元気になるとか・・憂鬱な気分や不安を吹き飛ばしてくれるとか・・

 

この身体がわれの本体だというのが錯覚だとわかる・・それを強めてくれ日々に静かな安心を感じるとか・・

 

 読むことで心が洗われ心の曇りが取れ晴れやかになるとか

 

 苦しいことあっても思いやりの情愛が深いとこから溢れてくるとか・・

 

日々に落ち着きや勇気をもたらす美妙な喜びが増す・・

 

新しいうっとりした喜びをくみ出す時間や機会が増える・・

 

という何かそういう兆しがあるなら、

 

別に「 あるヨギ・・」のみにこだわる必要もないのかもしれません。

 

 

 

 

 

その際・・ただ漫然と読む( 単なる暇つぶしの読書 )にしたくない・・

 

その文言に酔ったりしたくもない・・確実に進歩の鍵を手に入れたい・・という問題意識を持ってる方は

 

 

 

「 読み方 」をちょっと工夫するだけで発見的な読み方が出来て

 

日々の生活に教訓的ヒントを得られる場合があると思いますので

 

 

「 現実生活を動かす生活上の心構えを発見し教訓を取り入れやすくなる読み方 」

 

として「 あるヨギの自叙伝 」をモデルケースとして紹介してみます。

 

 

 

 

 

さて

 

 

 

 

これから、どういう読み方で攻略するか説明しますが・・

 

 

 

 

もちろん、理解し心がけて、まねる(真似る)という視点を持つこと、これが実践的読書の基本になるのですが

 

 

 

 

 

先ずは

 

 

「 あるヨギの自叙伝 」に実際に実名で登場する人物の中で

 

「脇役でバッドエンド化した方」に注目し、その方が失敗し屈辱を味わったことや
恩恵を受け損ねた事例をつぶさに調べて
自分事としてとらえる思考訓練的読み方をし
こういう方の振舞い、言動は、日常生活で見習わない・・
避けれそうなのは避ける
・・
ということです。

 

 

もっと言えば

 

この本で出てくる、いろんな価値観や考え方の方が、どういう動機で取り組んで、どうなったかを淡々と分析し、これらの方がどういう状況で、どういう欲念を抱いて、どういう理由で
どんな言動や振舞いをした時に失敗してるかを自分事としてとらえて、よく精読し研究したらよい
・・ということです。

 

 

えっ??と意外に思いましたか?普通は主人公の振舞いに注目し、その成功や成長に注目しますよね。

 

確かに「 あるヨギ・・」は、求道を志す方にとっての悟りの段階を指し示す階梯書と聖者のものの見方、感じ方を学ぶ指針書という位置づけのほうがメインであることは疑いようがありません。

 

 

 

 

ですが、私は敢えて、主要な主人公たちではなく「 脇役 」にも・・

 

 

しかも彼らが失敗したり、挫折し恥辱を味わいバッドエンドになったり退転した事例に注目し
自分事としてとらえて分析的かつ実践的に読んで彼ら(の振舞い)を真似ないように意識することが、ただ読んだだけで終わらせない・・

 

日々の充実の糧にできる教訓的読み方になるという考えです。

 

 

 

なぜ?と問われるなら

 

( あるヨギ・・の場合は特に・・ )

 

主役級とも言える主要登場人物の振舞いを見習おうとしても

 

もう肉体的な行為から精神や人格の成長の栄養を収穫し終わったような方は
肉体に対して執着してないので
その考え方は、私たちには、あんまり参考にならないし

 

 

ごくごく一般の生活をしている・・ほぼ大多数の人々にとって、あまりに遠く身近ではない( 真似しにくい )はずですから。

 

 

 

 

 

なぜ?why?身近な方に私がこだわるかと申しますと・・感化力、共鳴性・・親和性という点で暗示感化上の重大な原則があるからです。

 

身近で似ている方のほうが馴染みやすく親和力もあって最初の一歩のきっかけをつかみやすいのです。

 

 

あなたもご自身の生活を振り返って、心に強いショックを受けて自身の行動や振舞いが変わるきっかけになったことを思い返したら・・思い当たるふしはないですか?

 

 

例えば

 

ガンジーは、これまでは●●してたのですが、

▼▼するようになったのです・・これが成功の秘訣でした

 

 

というのを何かで知った場合より

 

 

 

あなたの身近な従弟の〇〇さん・・あるいは、近所の●●さんが、これまでは●●してたのが、○○の理由(動機)で▼▼するようになり、

とてもうまくいくようになりました。

 

あなたの身近な義弟の〇〇さんが、○○の動機で▽▽することで失敗、転落し

人生の修羅場(辛酸)を味わい立ち上がる気力すら失い、やさぐれて生活も荒んでいくことになりました。 

 

 

というのを知ったときのほうが、あなたの心に与えるインパクトも強く行動や振舞いに与える影響は甚大だったはずです。

 

 

 

 

 

 

なぜなら、従弟や義弟・・近所の●●さんのほうがあなたにとって身近だからです。

 

 

 

このことを踏まえて、話を「 あるヨギ 」に戻しますが・・

 

 

「 あるヨギ 」の各章を彩る主要登場人物たちは・・・ですね。

 

( 一度でもお読みいただいた方はお判りのように )

 

 

本当にこんな方がいたのか??

 

というくらい非凡な事や驚天動地の事や非凡な能力が次々連続展開するし

 

その振る舞いを視ても

 

 

1日に割く瞑想の時間が8時間以上で、これが生活のルーチン

 

あるいは、18時間以上・・とかいう方も実名で登場し、ぶっ飛びの非凡な能力を披歴していたりする。

 

 

はたまた50年間不食という世間( 世界 )の常識から逸脱した女性も実名と写真入りで登場するわけです。

 

( 例 「 あるヨギの自叙伝 3章 」「 13章 」「 48章 」 )

 

 

で・・ですね。

 

こんな方がいる( いた )というのをあなたが知って実際に、そういうことを実行した方がいるというのを信じることができても・・

 

普通に仕事して世間一般のコンセンサスの元で、そういう雰囲気の中で日々に追われながら生活を忙しく送っている

 

( ほぼ大多数の方にとっては )一般的でなく身近でもなく現実的でない・・

 

日本の習俗や文化にも馴染みにくい記述も多いので・・
さらに輪をかけて雲をつかむようなお伽話になりがちで
そういう逸話を信じ、実践した方がいたというのも信じることが出来たとしても
遥か雲の彼方のエベレストの高峰を、ただ呆然と見上げるような心境で立ちすくみ
自身の生活に接続できる気力も失せがちでしょう。

 

 

 

 

なかには

 

このサイトの著者である私が丁寧に薦めてるので、信頼して読んでみたけども

 

 

 

書かれてる内容がぶっ飛びすぎてて、到底信じられないよ・・

 

本書に書かれている「 (ヨガナンダらが体験したことは) 真っ赤な嘘で、騙そうとしてるんじゃないかしらん?」

 

と訝り拒絶する方もいるかもしれない・・

 

信じろ!つったって無理でしょ・・と思う・・

 

一応、そういう方のために「 あるヨギの自叙伝 」について
´目で観ることのできる奇跡の確認方法´もシンメトリーのページで掲載しておきましたが 

 

 

 

( その感覚と不安・・疑念・・その気持ちもわかる・・私も堅実で常識的な実務的人間でして・・)

 

 

それに・・そもそも奇跡現象とか超能力とか・・好きじゃない。

 

とにかく斜めに見るような傾向がベースにある人間なわけです。

 

 

 

( まあ、好きじゃなくても・・せっぱつまった時があって、二進も三進も行かず
 宙に浮いたスピリチュアルに逃避し、ことごとく頓挫したという経験もあるけども・・)

 

 

 

 

 

例えば

 

 

( 本書にはそういう記述はないですが )

 

マッチやライターを使わず通力で火をつける護摩行・・という奇跡とか・・・を読んでもあまり響かない。

 

 

 

ふーーん・・マッチを使わずに通力で火をつけれるんですね・・

 

へーーー・・すごい・・

 

 

で・・

 

 

だから何なの・・もし、それが手品でもなく紛い物でなく仮に真正なものでも
それで苦煩が除けるのですか・・


 

とかいう・・スピ系万歳の人に怒られ、ぶん殴られるような・・

 

基本的ベースは、そういうのに、ものすごーく冷めた´冷血人間´なんで・・ )

 

 

 

翻って、「あるヨギの自叙伝」に視点を移すと

 

「あるヨギの自叙伝」の場合は、著者が体験したとされる

 

「通力で護摩に火をつける」というのが児戯に思えてしまうような奇跡が披歴されてるわけです。

 

 

そうなってくると、ここでも疑念が黙々と湧いてくるでしょう。

 

 

しかし

 

( 「 あるヨギの自叙伝 」は、その記述において、奇跡現象に目を奪われがちですが )

 

その深い内面世界に注目してみると、そういうのにアレルギーを感じる方も和らぐのではないでしょうか?

 

 

( 奇跡現象は棚上げし )深い内面世界に注目する

 

 

 

そうしたら

 

 

ひょっとしたら、こっち側・・あっしら( 私たち )のほうの心の眼が曇ってて

 

人間ならだれにでも平等に尊いものが植え付けられてても、段階的なものもあって、まだ内的な高級感覚が磨かれ拓かれてなくって

 

未熟な状態かもしれないと観る視点もできる・・そういう見方があってもいいんじゃないか・・と思うわけです。(;^_^A

 

 

そうして

 

「 あるヨギ 」に述べられているような

 

やがて消え去るものではない永遠なるものに対しての感度が
すこぶる強く発達してて

 

 

五感を超えた領域が高度に拓かれてて知覚でき

 

高次の存在の許しを得ながら

 

ごく一般の人間には及びもつかない領域の高次の因果律を熟知し

 

そういうのを背に人知れず謙遜に力を行使できるような方がいて

 

世の中のこせこせしたことに囚われず、大きく観る目を持って

 

内的に違う世界を生きてる( 生きてた)方も・・ひょっとしたらいる( いた )かもしれないぞ・・

 

 

 

そういう高級感覚が塞がって曇ってて「 心の眼が節穴 」なのは、こっちかもわからんぞ・・

 

異常に感じられる感覚や力を、「あるヨギの自叙伝」の主要登場人物たちは

 

 

根本主体・・そして根本主体が植え込んだ心身の感覚を超えた次元の尊き領域との導通がよく、サーキットがしっかりしてて
その能力を( 周りに )ひた隠しながら、高次の許しを得つつ、控えめに披歴してるけども

 

そういう方は、世俗一般には、煙たがられがちで

 

まだまだ時代が追い付いてない・・とか・・その他諸々の関係でマイナーに押しやられがちだけども・・
実は、ごくごく少数派のあっちが万物の霊長として成熟してて

 

 

 

 

大多数派のこっちは、まだまだ未熟で、塞がれて、そのサーキットが遮断され悪習に染まり導通が悪くなってる

 

尊いものは平等に植え込まれてても人として、まだ発展途上なのかも・・

 

と謙遜・・謙虚かつ柔軟に構える。

 

 

 

 

私たちの心の上位に君臨する魂(の力)や五感を超えた超感覚(高級)領域は

 

その力も出にくくなってるとされているし残念なことに
御先祖代々の原因と結果の因縁の氣のうちよくない氣に塞がれていたり
霊性が高度に発達し深い思いやりに根差した高度な共感能力や高級感覚は一般に塞がってると言われてますので

 

 

そういう方々は、世間的には、ごくごく少数なので

 

あっちのほうが、おかしい・・異常・・尋常じゃない・・と訝しく思いがちだけども・・

 

 

ひょっとしたら・・もしかして・・

 

常人離れした非凡能力の発揮は、基礎条件があるはずだから、ともかく

 

ああいう高次の感覚が拓いていて、根本主体・・そして心を超えたみ霊とのサーキットが
揺るぎなく緊密で、それを背景に、そういうのひけらかすことなく隠しながら

 

奪い合いとは対極のものを、この世界に観じ日々を恬淡と生きるのが
人として本当は正常かも・・し・しれない・・・・

 

 

と考えてもやぶさかではないかもしれないです。

 

ただ、そう考えるほうが、世の中に清新な雰囲気が蘇ると思うし

 

 

人としての本来・・未熟なものを熟させようとする・・より清明でよくするベクトルを備えた得体のしれない高次の力が常に働いてるということに落ち着き
何となく気持ちも楽になるんじゃないでしょうか?

 

 

 

 

 

本当は、私たちが思う以上に、人間には大きな可能性が秘められてるのかもしれないという自覚を持って

 

自身の内的可能性にも肩の力を抜いて大らかに目を向けるほうが

 

 

思惟を超えた霊的直覚も働きやすいはずで

 

聖者の眼をレンズにして借りることで

 

根本主体( 造物主 )視点でわたし(あなた)という存在を
この現象界に送り出した´お役目´´大事な御用´みたいのは何か?
を( 答えは出なくてもいいので )たまには考える・・

 

 

そうしたら

 

大きな新しい視点が出来るのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

とは言え

 

 

そっちが正常であると仮定しても

 

 

それを拓いたからって退転や不幸を避けれるかどうか・・幸福の彼岸に直行できるかどうか怪しい・・

 

 

 

ですので

 

 

先ずは、手の届きそうな身近な脇役に注目して、今の自身の立場で、自分事としてとらえ、脇役として登場してる方の状況を自分が同じ立場に立ったと置き換えて思考する訓練をして

 

それを踏まえて

 

現在の置かれた状況や立場でやれそうなことや( 脇役として登場する方が失敗したことで )

 

その欲念や動機・・さらには避けれそうな振舞い・・その言動を
大きな視点で大らかに思いやり深い目で探るとよいんじゃないか?ということです。

 

 

 

 

そうして「 あるヨギ・・ 」の主要登場人物の脇を固める脇役( ギャラリー )みたいな方の言動・・振舞いや失敗・挫折をよく意識し
自分事として自分が同じ立場に立ったととらえ

 

しっかり、その動機や言動の分析をし検討することで、どうしたら幸福の原則から逸脱して失敗しやすいか?失敗の分析ができるし

 

 

 

自分事として考察し、立場を自分事として置き換え、この方は、どうすればよかったのだろうか?自分が同じ立場と状況ならどうするか?等にも思いをはせることで

 

もちろん、正解はないのかもしれませんが・・

 

 

自分自身が日々の生活で後々に不幸の種を撒くような考え方や思い方(の傾向)、言動
そう振舞おうとする衝動の毒気を抜いて

 

軌道修正し避けられるようになる小さな因( 後に苦悩の因になるような )失敗や苦悩の種になる思い方の芽を摘んで、手ひどい失敗をし難くなる・・

 

あなたは違うかもわかりませんが、私たちは、とかく目の前の快楽に執着したり
心が浮ついたり驕慢になったりするとおかしくなりがちだし
心は猿みたいなもので・・あっちこっちに気が向きがち・・

 

心は消極化し思いやりや快活さを失い、ふさぎこみ陰気になったり利己的になったり・・
すぐにしょ気込んだり、見栄を張り我を張り偉く見せようとしたり・・
攻撃的な怒りや憎しみ、妬みの感情に苛まれ、いかんともしがたくなったり

 

とにかく心は幸福の原則のレールから脱線しがちです。

 

 

 

その点で「 あるヨギ・・」は、お弟子さんが、お師匠は、●●ということを言った・・

 

とかいうのを書いたものではなく、行を完成した聖者が直々に執筆してるということもあって

 

根本主体・・そして高次の自己とのサーキットを確立した聖者中の聖者が知覚した

 

奥深い内面世界・・感じ方、考え方や志・・動機を、求道プロセスも含めて垣間見て

 

´知る´ことのできる世界的、歴史的にも物凄く珍しい本でして・・・

 

( そういう意味からも )

 

動機を正して見つめ直すことで少しずつ方向調整できたり退転の予防線を張れるんじゃないでしょうか?

 

 

( そういう感じで不幸の因を積む思い方、動機自体を正して・・ )

 

こりゃあかんぞ・・というので方向調整が出来て
困難や試練に遭遇した際に凡夫にありがちの・・自分で自分の内側から自らの運命を悪くするというのから未然に防ぎやすくなる。

 

  後々の苦悩や転落の果をもたらす因を積まなくなったり
これまで手痛いダメージを受けてた場合でも、思い方、考え方、動機自体に分析的なメスを入れることで

 

こりゃあ、あかんぞな・・と大らかに方向調整・・軌道修正しやすくなる。

 

これが2つ目の私にとっての「 あるヨギ・・ 」の効能書きなんです。

 

 

 

 

 

 

この「 あるヨギの自叙伝 」は、非凡現象や波乱に満ちた展開の連続ですが、いろんな方が実名で写真入りで登場し、多様な考え方の人が登場し描写されています。

 

( 社会通念・・世間一般の常識を逸脱した奇跡現象の連続ですが )

 

ヨガナンダジも恐らく写真とか出さないと・・信じてもらいたくて書いてても・・到底多くの方に信じてもらえないだろう・・と苦慮し、熟慮の上で、そういう構成にしたんだと推定してますが・・リアリティもあるわけでして・・・

 

 

 

著者であるヨガナンダという方の澄んだ目を通して視たリアルな体験を述べており

 

描写が臨場感たっぷりで、その息遣いや体温を「 時空を超えて 」身近に感じることが出来ます。

 

 

まあ、そういったのは古典文学等でもいえることですが・・

 

 

この本の中には各章に登場する主要登場人物を含めて
ざっと100人以上の方が、実名で、この本に登場してるのじゃないでしょうか?

 

そういう関係性の中で色々な見解や価値観の人が沢山出て
いろんな見解や価値観、脇役の方々の考え方や思い方・・執着を知ることで
世界観や人間観も多角的に捉えれる

 

 

 

様々な世界を体験することが出来ますので物語としても優れています。

 

 

ハリー・ポッターシリーズの著者のJ・Kローリング女史も貪るように読んだと聞いてます。

 

 

 

 

なので物語として読んでも十分満喫できますが・・

 

一歩踏み込みたい方は

 

 

先ずは、私たちにとって親しみやすく?身近な・・「 脇役に該当する方 」

 

こういう方々のバッドエンド・・こりゃあ、あかんがな事例を自分事としてとらえて思考を深め、その回避から探るということ

 

 

 

 

脇役の事例で言えば・・

 

 

バッドエンド化した方も含めてざっと思いつくまま、思い出すままに列挙するなら

 

 

 

お師匠に出逢い、直接手ほどきを受けるという恵まれた縁はあったにも拘らず
ヨガナンダと違って動機がずれていって正すことが出来ず傲慢で権勢欲丸出しになり挫折し転落し恥辱( 苦痛 )を味わうことになった人・・

 

 例 第12章に出てくるクマールという人物
   ※内面で志してることがヨガナンダジと大きく違うことが彷彿されます

 

 よき出会いがあったのに恵みを受け損ねた人・・

 

 例 第17章 サントシュの父で獣医のナラヤン・チャンダー・ロイ氏

 

 導師らを蔑み、馬鹿にしていて、ある出来事をきっかけに反省したけど、こらえきれず、やはり大きな恵みを受け損ねた人・・

 

 例 第31章 経営者でカリ・クマール・ロイ氏の雇い主に当たる人物( 名前は不明 )

 

そういうバッドエンド事例から探って

 

 

さらに

 

 

 

惰性で生活してたのに、ある出来事をきっかけに反省し、そこから努力し内的に大きく飛躍を遂げた人・・
など・・も探る

 

  例 第11章 ヨガナンダの兄のアナンタ  
    第22章 ヨガナンダの姉の夫のサティシュ
    第25章 ヨガナンダの妹のナリニ

 

 そういう視点で読むと・・もう、とにかく、主役を彩る脇役含めて、いろんな方がたくさん出てきますが、誰一人不要な人物などいない。

「 生きた教訓 」「 生きた教材 」
になってくれています。

 

 行を完成したヨガナンダご自身やそのお師匠らも求道中や修道中に、いろんな失敗を経験している。

 

 なので、そういう失敗したケースで、なぜ、この局面の場合は、残念ながらバッドエンドになったのだろうか?・・というのに着目し自分の事のごとく意識し考察する。

 

 

そうして

 

 

 どういう思い方、考え方で、どういう心のありようのときに、どういうことしたらバッドエンドになりがちで、どういう思い方してたらハッピーエンドに導かれたのか?

 

  バッドエンドになって窮した後、どのようなことがきっかけでハッピーエンドに導かれていったのか?

 

 その時に抱いた欲念や動機や心境( 内的な思い方、考え方・・心のありよう・・さらには言動 )

 

失敗の経緯や成功要因、どれくらいの期間かかったか?等を意識し

 

この本のなかから、そういったケース・スタディ的なものを

 

( 正解というのはない・・人それぞれ置かれてる状況は違うし響くところが違うのかもしれませんが )

 

自分事として、つぶさに探り、ぼんやり読むのではなくロールモデルとして考察を深める。

 

 

バッドエンド化したものは、

 

どうしたらよかったのか?等を含めて、自分なりに・・自分事として、思いやり深い御眼でじっくり考えを深める時間を持つ・・

 

ということです。

 

 

 

 

こういう人物のバッドエンドの事例やハッピーエンドの事例も含めて

 

 

行を完成したヨギの澄んだ目を通して観察し
それについて、聖者がどう感じ思ってるかを赤裸々に語ってコメントしてくれてる書ってのは、

 

非常にと申しますか・・異次元にレア・・と言いますか・・

 

私も十代後半くらいから、自慢にもならないけども、こういうのに謎の熱と興味があって

 

こういうのも幾千冊読んできたかわからんわけですが

 

恐らく歴史的にも

 

「 世界で唯一と言えるほどの書 」ではないでしょうか?

 

 

 

そういう意味でも、大きな学びになりますし

 

 

 

たった1回・・1章読んだだけでも

 

その感銘の深さがあまりに深い場合は、これまでの惰性的生活を佳き方向にくらりと軌道修正する強いインパクトを、認知されない無意識が受ける方もいらっしゃると思いますんで・・

 

私と違って・・

 

 

 

 

 

探り方の基本は

 

 

 

挫折し転落し屈辱を受けバッドエンド化した人のケースは・・主に主要な登場人物の脇を固める、割と一般人・・
心が積極に磁化されてないギャラリーみたいな方が多いのですが

 

 

 

 

1 この人は、なぜ挫折し転落し屈辱を味わう・・あるいは、巨大な恩恵を受け損ねたのか?

 

2 そもそも、転落した人は、どういう欲を持っていて、どういう心のありよう( 思い方、考え方 )で、どういう言動してたのか?

 

3 この人がやらかして、転落につながったことは何か?

 

 

こういうのを先ず調べて失敗分析をしバッドエンドになった要因分析をして意識的に読んでいきます。

 

 

 

下腹で向き合ってじっくり考える時間を持ち、彼らの言動は真似ないように心がけるということ。

 

( 天風哲学を咀嚼した上で、自分の言葉で語るなら心身統一行法という格別に優れた行法を知って大宇宙の見えざる根源主体の願いに沿って意志の力を渙発できるようになって、日々の生活で見たり聞いたりするものを取り締まることや内面の思い方、考え方が原則に沿ったものか?を吟味し取り締まる力を少しずつでも培って習慣慣性に働きかけて無理のない範囲で・・あまり先鋭化させず、少しずつ・・大らかに・・という心がけが割に大事かもしれない )

 

 

そうして、ある程度、自分なりにでも答えが固まったら

 

さらに自分事としてとらえて

 

 

4 この人は、どうすればよかったのか?自分が同じ立場ならどうしたか?どうしたらよかったか?

 

という問いで思考を深めて考察していく。思いやり深い目で裁いたり自己正当化したりもせず淡々と考察するのが大事・・

 

 

 

 

ちなみに・・あらかじめ言っておきますが・・

 

世間的価値観での成功者のなかには

 

心が霊化され積極に磁化されてない・・と申したらよいのか(;^_^A
心が新生されてない・・と言ったらよいのか・・
適切な言葉が見つかりませんが

 

 

いくら世間的には表舞台で活躍し成功者として認知されてても

 

近世が輩出してきた覚者・・聖者とされる方々の中でも・・
そこから更に頭2つくらい飛びぬけたような聖者中の聖者であるヨガナンダジのような方から観たら、
悲しみの対象のような方でも、世間的に観たら
栄華を誇ってて勢いのある方々も世の中には確かに沢山います。

 

 

聖者の感じ方っていうのは世間的な価値尺度とは偉い違うんだなと思った‥と言ったらよいのか・・

 

ヨガナンダジの眼から観たら主役と言える方・・

 

「あるヨギ・・」の各章を彩る主要登場人物たちは
( 世間的な価値尺度から視たら)社会の檜舞台で華々しい活躍をしてるわけではない。
世間的・・現実には・・「 あるヨギ・・」という本が出版されなかったら名前すら知られない・・・・

 

下手すると世間的価値尺度からは、無視されるような・・そういうレッテルを貼られそうな方も多い。

 

 

 

そうなると混乱しますよね。

 

し・しかし・・ですね。(;^_^A

 

 

いくら世俗的、社会的には、その方は成功していると世間で認知されて
すごい学位を持っていて●×勲章を一杯もらってたり高い地位についてたりして
もう、ものすごい影響力があっても、その方の成功や繁栄・・栄耀栄華が、今後もずっと続くとは限らない。

 

執筆した当の本人の心が深い内心の喜びを感じてるかもわからない。

 

一言で言えば´諸行無常・・・奢れるもの久しからず´・・です。

 

 

ですので、長いスパン・・とても長い目で見て

 

行を完成したヨガナンダのごとき根本主体のことを深く深く知り、その願いと一致した生活を貫いた
聖者中の聖者からみたら、がっかりし、悲しむだろうというようなことは・・
いくら、別の著書の現時点での( 世俗的 )成功者が薦めていて

 

聖者が語ってることと違うことを述べてる場合は・・

 

見習わない・・真似ないように心がけたほうが無難じゃなかろうかと私は、そこはかとなく思っています。

 

現時点での( 世俗的 )成功者が薦めてて、そっちのほうが刺激的ですごいインパクトはあったとしても・・その方の成功が、今後も持続的に続いて、
もし、その方が本を書いていたとしても、その本が後々まで、幾世紀・・幾代に渡って世代を超えて読み継がれ語り継がれていくとは限らない‥

 

その反対に

 

「 あるヨギ・・」は、( 今は難しくても )時代が追い付いていくごとに、人々の内的理解が深まっていき・・
時空を超えて今後何百年も語り継がれ読み継がれ、真摯に求める方によって深い研究がされていく普遍的な本の一つだろうという直感めいたものがありますんで・・

 

 

 

 

 

 

 

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ということで、もし、この書に共感を強く感じる方なら・・
そういう脇役みたいな方の失敗( 不幸の因 )分析を・・

 

思いやりを携えて行うことを踏まえて、避けることを心がける。

 

 

スキーム化すれば

 

脇役みたいな方がして失敗し不幸の因になったことを避けることを強く決意する

 

不幸の因を積まないでおれた・・避けられて有難い( 原因 )

 

   


この主観的な精神状態に呼応するかのごとく

 

 

   ↓

 

( 結果 )

 

▽感覚の誘惑や惑わしを避けることに予防線を張れる

 

 

▽大難を小難に・・小難を無難にできて、つつがなく過ごせてる

 

 ↓( これが原因になり )
感謝が深まり
いつも喜んでいて豊かな気分・・気持ちが落ち着き積極でいる( 結果 )

 

 

佳いサイクルがぐるぐる回る

 

 

こういったスキームになり( 常に変化し無常の世・・ままならない世の中であっても )
日々を難少なく過ごせる・・ということになるのやもしれない。

 

 

 

 

 

これに慣れたら

 

 

大きな恵みを受けたり成長、成功に導かれハッピーエンドになったケースを探して幸福の因の分析をしていきます。

 

 

大きな恵みを受けたケースについての読み方のポイントは

 

以下の「 誘導的言葉 」が有効です。

 

なお、自分で主体的に探す・・受け身でなく、自分で自分をリードし、脳神経を明晰にし、気を張って腹に鎮めて注意深く探すことで、深い読み方が出来ますから。

 

 

心を方向づけするための誘導的言葉は以下のとおりです。

 

 

 

「 この本の中に、成功と幸福・・向上のための秘密の暗号が隠されている・・
よーーし・それを発見し解読するんだ・・
その解読の成功は、決して自分だけに止まらない・・私の大切な人の幸福のお手伝いもできる 」

 

 

この感覚を大事にし、張りつめた・・やや緊張した前のめりの気持ちに誘導してから探し読みすることが大事です。

 

 

なお、出来るなら、上半身の力を抜き、体をポカポカ温かくし( 温かく感じられるようにして、眉間を涼しくし、温かくて心地よくなった下腹に、このアファメーションをしみ込ますようにすると効果は倍増するでしょう )

 

 

そういう( 適度な )気持ちの張り潜在能力を活性化させます。

 

※だいたい、「 成功の実現 」等の口述書や「 あるヨギの自叙伝 」を読むような人で誠実で思いやりの深くない人はいないやろと思うんで・・
 このアファメーションで心を方向付けるのはよいはず・・という見積もり算段もしています。

 

 

 

と言うことで、上記の誘導的言葉で気持ちを凛とさせ、心を方向付けた後に、以下の問いをしながら探す・・ノートに書き留めるといいでしょう。

 

 

1 この人がやってて、わたし自身が、普段の生活でやってない・・心がけてないことは何か?

 

2 この人がやってないことで、わたしがやってることは何か?

 

3 私は、いいとこまで行って結局は、元の木阿弥に戻ってしまったことがあるけど、この人はハッピーエンドに導かれ恩恵を受けた・・

    この人は何をやって継続したのだろうか?

 

4 この人は、バッドエンド化し窮した後、どうリカバーしたのだろうか?

 

 

以上のような質問をしながら「 あるヨギの自叙伝 」を読むと

 

この書は、不本意ながらバッドエンドになった方々も沢山出てくるのでハッピーエンドとバッドエンドを分かつ些細な差を見つけやすいし
  人それぞれのブレイク・スルーの大きなヒントを探ることが出来ます。

 

 

自分自身のバッドエンド化をも未然に防ぐことが出来やすくなるし、ハッピーエンドになった事例を研究し、その方がしていて、自分がしてないこと
さらには、その方がしてなくて自分がしてることを静かに分析することで浮かび上がってくるものを気持ちを前のめりにして腹で探すわけです。

 

何となくよさそうだな・・と思ったら、是非この「 問い 」をしながら、この巨大な宝石より以上の本からヒントを探り出してみてくださいね。

 

きっと今の自分にとって必要な何か、大切な人も助けられる何かを発見する可能率が高まるはずですから。

 

 

ただし、もうひとつ私の体験例から述べるなら、日々に生きがいを感じるようになる天風哲人が発見した生命哲学や
実践的心身統一行法が、そこにバイパスし心を先ずは強くし、さらに生き生き積極化することに上手くなり
心身統一行法という現実に寄り添った行を実践することで感謝生活が馴染んで、心が弱る原因などを把握し、( 外界の )消極的刺激に対する防御力を高め、心身の強さを培った上でないと・・恐らく難しい方も多いのじゃないかと何となく思っていますから。