ヨガナンダと中村天風の共通項と微妙なシンメトリー

 

「 成功の実現 」などの口述書も高い次元の書ですが
「 あるヨギの自叙伝 」になってくると更に高次元になってくるので
これについては相当な準備が必要。

 

この書は時期尚早かもしれないという畏怖の感覚が拭えませんが

 

そうとは言え

 

口述書や「 あるヨギの自叙伝 」・・いずれも国とか越えたレベルで公益性のあるものなので、
本当( 本音 )は、世界的規模の大学や公的機関の識者が、公費を使って
こういったことの比較研究、精密検証とかを真剣にして橋渡しや段差の穴埋めをすべきじゃないか?・・

 

 

 

 

同調圧力が強く、善きにつけ悪しきにつけ、いろんな刷り込みを享けてる中で

 

恬淡と実践するのは、容易ではない・・浮いてしまう可能性がある・・

 

本来は、こういうのを世界的な公的機関の指導層とされる方たちが

 

大きく大局的に学際研究し、普及させることで

 

 

人間は、なぜ生きるのか?人生の目的とは何か?

 

いかに生きればいいのか?本来どうあり、どうなれば幸せになれるのだろうか?

 

 

という本源的な問いを改めて問い直す機運が生まれ

 

 

 

1人1人が置かれた立場における感覚の束縛や苦患の多くが除かれて

 

いろんな縛りから解かれるきっかけになる方も出てくる。

 

(世界的規模の大学や公的機関の識者が、公費を使って研究し

 

それをかみ砕いて、私たちのようなごく普通の人にシェアすることで )

 

各々の心の奥底に沈積しおりもののように濁った
鬱屈した感情や過去の様々な過ちや失敗( 挫折体験 )、嫌なことで苦しめられていたのから

 

 

公的な研究が進みノウハウが洗練されて段差が少しずつ無くなっていくことで

 

 

実践する気になる方も出て、実践継続により

 

霊性が高まって、これまで如何ともし難かった心の苦悩を整理整頓する方も増えていく。

 

内面のドロドロしたものと和解し自己統御をきっちりでき
人間関係も円満化できる方が増えていくことで

 

集団の積極的な幸福の公免疫みたいなのが出来・・
憎しみや苦しみが、更なる憎しみを生んで不幸な人が連鎖的に増えるのを防ぐことにつながるのではないか?

 

 

( そうなってくると )

 

世の中に素朴な清廉さや活気が出て世の中も住みやすくなるのではないか・・・

 

と漠然と思ってるわけですが・・

 

 

 

 

そんな他人任せなことを、ぐちぐち、ぐだぐだ言っても仕方ないと思い

 

自分で主体的にコツコツ比較研究をしていたところ

 

2年前くらいにインスピレーションを受け気づいたことがあったので

 

橋渡しになればいい・・これを執筆するのは、発見した人間の責任だと思うとこもあって

 

執筆することにします。

 

 

 

 

 

という事で本題に入りますが

 

 

 

 

 

今回私が発見し、記事に書こうと思ったのは

 

パラマハンサ・ヨガナンダ聖者と中村天風師の奇妙な共通点とシンメトリーについてです。

 

 

 

 

この御二方は、大枠で捉えるなら、どちらも「 ヨギ 」として観ることが出来ますし

 

その御生涯に深く思いを巡らし時系列で並べると、聡明な読者の方ならきっと
そこに被ってるところと微妙なシンメトリーを発見するはずです。

 

 

 

 

中村三郎( 中村天風師 )のキャリアをヨガナンダ聖者と並べて比較すると

 

お二方の探求及び修行時代に被ってるところがあることがわかります。

 

( 時系列は、ヨガナンダ聖者のほうは 「 あるヨギの自叙伝 」に、
その年月の記述があるので拾っていますし
天風哲人のほうは、「 成功の実現 」などの巻末史料に
公式資料として、経歴が掲載されてますから
本文から拾ったり略歴から参照しています  )

 

 

 

先ずは類似性( 被ってるとこ・共通点 )を列挙してみると・・

 

 

 

お二方とも、経緯は違うが世界の2/3を旅しており、その当時の識者、賢者・・魅力的な方に会いまくっている

 

一方の御方( 天風先生 )の場合は、30歳の時に奔馬性肺結核病を患って
二進も三進もいかなくなったことがきっかけで求道するようになる。

 

( ちなみに奔馬性肺結核は当時の医学では、為すすべなく治療のしようもなかった・・ )

 

※当時の日本において結核は非常に流行っていて、
著名人を含む多くの方が若くして亡くなっているという背景もある 

 

樋口一葉 24歳、正岡子規 34歳、滝廉太郎 23歳、石川啄木 26歳、堀辰雄 48歳 等 

 

闘病は、とても辛く苦しいものだったことが子規の日記などの書籍を読めば読むほど身につまされます。
体験したご本人じゃないと、その辛さは決してわからないでしょう。

 

 

中村三郎も前述した著名人ら同様、世界的権威のお医者にすら40歳まで生きれないと駄目だしされ

 

病は仕方ないにしろ病をきっかけに弱くなった心の統御のことでも悩み苦しんで
国内の学者、識者、宗教家に教えを請うがどうにもならない・・

 

32歳の時に1冊の本( ニューソート系の本 )を読んだことがきっかけで

 

病に組み敷かれ悲運に弱々しくならない心の強さというものを
取り戻せるヒントがあるかもしれない

 

国内(の有識者や宗教家)は駄目でも海外ならなんとかなるのでは?と思い立ち
読んで感動させられた当該ニューソート系の著者( 哲学者 )に会って教えを請おうと深刻な決意をし

 

33歳の時に国法を犯し日本から密航までしてアメリカに行くことになる。

 

 

しかし、その哲学者の答えは、あまりにつれない答えで、どうにもならず・・

 

死が現にどんどん近づく言い知れない不安と恐怖・・
さらに病からくる苦痛や絶望感
苦しさにまみれた心の問題は全く解決されない・・

 

 

 

その後、アメリカ滞在中に医者が駄目だししても

 

自分が医学を学んで研究し治す方法を探ろうとし

 

病が小康状態になったのを好機ととらえてアルバイトも兼ねて
密航した先のアメリカの大学で基礎医学を熱心に学ぶも

 

当時の最先端のアメリカの医学でも奔馬性結核の治療法はなく、
症状は一進一退を繰り返していたと言います。

 

 

 

 

それなら、せめて、密航してまで渡米しようと思った、当初の動機に立ち返って
心だけでも当時の強かった頃の半分でも強くし立て直したいと思い

 

33歳から35歳にかけてヨーロッパ中の学者、識者にも会ってるが

 

求めるものは得られなかった。

 

 それで、もう自棄のやんぱちになって、どうせ死ぬなら
日本に帰って死のうとフランスから船に乗ったところ

 

日本に帰る途中で、イタリアの砲艦がスエズ運河で座礁し、運河を通れなくなり・・
しばらくアレクサンドリア港に、船を停泊せざるを得なくなった。

 

 そのとき、同じ船に乗って仲良くなっていたフィリピン人で窯たきしてた友人からピラミッド見物を誘われ
なぜか気が動き行く気になったが、ピラミッドに向かう途中のカイロのホテルで大喀血し
真っ青( 顔面蒼白 )になって、へたり込んでるとき

 

それを見つけたアメリカインディアンの大男のボーイが、
「 なんだ元気ないな・・そんなら食事でもしたらよい・・」と
ひょいっと抱えて連れてこられたホテルの食堂で、インドへ帰る途中の導師に逢う。
( 1911年 このとき35歳)

 

その後、その導師との問答で、胸の重篤な病のことを知らせてもないのに、いきなり指摘され

 

感に打たれるような心境になり

 

その導師についていくことを決意し、導師に連れられて
インドの山奥 ヒマラヤの第三ピークの麓のヨガの里に入り修行

 

その後、中国等を経由し日本に帰っている。

 

主な行路は

 

 日本 →中国 → ロシア < ただし軍事スパイとして >→日本に帰国
 < 生きて帰れたのは3000名のなかから秘密裏に胆力や武芸などの試験で
基準に達してるという事で選ばれた約200名のうち
そこからさらに厳しい訓練を逃げ出さず無事に履修して
職務につくことができた113名のうちの9名だけ・・
  その9名の一人 >
( しかし、3000名のなかから選りすぐられ、さらに、そこから厳しい訓練を経て選抜され
その後任務について毎日が死と隣り合わせで命がけという戦地を潜り抜けて
生き残れるほどの胆力のある方だったにもかかわらず
任務を一時終えた直後に当時における不治の病に罹患し、
これ契機に、これほど心が弱くなるのか?ってくらい弱り
病からくる苦しさや死の恐怖に怯え31歳から 
国内の識者をはじめ仏教の禅僧、キリスト教含む
当時における当代一流の著名な宗教家に会い教えを請うたが、
ことごとく絵に描いた餅みたいな助言で絶望 )
→ 国内がだめなら世界ならどうかとニューソート系の本に感動したことをきっかけに
33歳でアメリカへ (ニューヨーク)

 

→イギリス( ロンドン )→ベルギー→フランス→エジプト→インド
 ( 1911年6月まで、莫大な私財を投じて尋ね歩いても、ことごとく挫折するも
35歳のときエジプトのカイロのホテルで導師に逢って、導師についていくことを決断し
そのまま3カ月かけてヒマラヤへ1911年9月から1914年まで )
 ※インドの聖者の執り成しと修行などのこともあって奇跡的に難病が快癒し、
その後も課題を与えられ瞑想修行を深めて大悟しゴーケ村を離れる
→中国→日本で銀行経営

 

 日本で社会的名士として活躍してたにも関わらず、感じるところがあって
パッと辞めて以降は、政治的な事にも幾ばくか関与はし
当時の世論に真っ向から反対し、戦争反対の論陣を張って
軍部から自宅を取り上げられたりもしたが、第二次大戦後は、講演三昧

 

 

 

 

 

もう一方の御方( ヨガナンダ聖者 )は、インドの北東部に生まれてまして

 

 

 

ヨガナンダ聖者のご両親も、本書から推察すると、とてつもなく廉潔な方ですが・・
ヨガナンダ聖者は、ご両親よりも、さらに霊格が高い・・と申したらよいのか・・

 

「栴檀は双葉より芳し」といったらよいのか

 

8歳の頃から、ご両親の影響も受けて小さい頃から瞑想に励んでいた形跡がある。

 

 

こんな逸話を知ると

 

このページを執筆してる私なんか8歳の時に何してたろう・・と思ってしまう。
今から思えば当時、8歳にして、相当に老成した考え方をしてたようには思いますけど、、、

 

また大学生の時は大学の講義は真面目に履修はしても
段々薄っぺらく、くだらなく感じだし形而上の研究や探求も熱心にやりましたけど・・

 

 

 

自身のことはさておき、ヨガナンダ聖者の場合は

 

どうも世俗一般とは違う高級感覚が既に拓かれてたみたいでして

 

 

 

形而上の真理探究に燃えに燃えていて、その延長でヒマラヤで瞑想修行することに憧れ

 

十代半ば位からはヒマラヤで導師の元で修行したくてたまらず
ヒマラヤ目指して家出を繰り返して父親を心配させてます。
( 世間ずれしていますよね・・このエピソードからして既に )

 

 

 

 

しかし

 

そのたびに、なぜか邪魔が入り挫折する。 

 

さらにインド国内で魅力的な方を探しまくると言いますか・・
聖者( 行者・導師 )という噂を聞けば
率先して、あちこち出かけて話を聞きまくっている。

 

 

 

そういう背景のもとでムクンダ青年(ヨガナンダ聖者)が1910年17歳の時

 

( 天風先生がカリアッパ聖者にカイロのホテルで運命的に出遭う1年前くらい )

 

 

僧院で修行してはいたが、僧院の方針と違うこともあって

 

寄生虫とまで言われて仲間外れに似た四面楚歌状態になり、もう精神的に切羽詰まって
魂の底から脳がもうどうかなるんじゃないかってくらい熱願するような祈りを数時間した直後

 

お釈迦様ともゆかりが濃いベナレスの街中・・市場で導師に出会い
足が地に張り付いたように動けなくなって感に打たれたようになる・・

 

その後、その導師に師事していますが

 

< 導師に逢って、修行を始めた初期の頃は叱責されまくり酷評されまくりで
我儘で頑迷な自我を砕く厳格な訓練を施されたが
導師の下で修行して半年後くらい・・ちょうど天風先生が35歳でカリアッパ聖者に出遭った頃

 

このときヨガナンダ聖者( ムクンダ青年 )は18歳くらいの時でしたが

 

ヨガナンダ聖者の師であるユクテスワ導師の下で修業を志した、お弟子さん( 修行者 )は多くいたようですが、その殆どが慎ましい生活、食事や厳格な生活・・
さらには自我が砕かれる厳しい内的修行に耐えられず、ほうほうの体で逃げ出した中で

 

ムクンダ青年( ヨガナンダ聖者 )は、その殆どが脱落していったなかで念願だった宇宙意識を体験している。

 

そうして更に9年間・・27歳まで

 

宇宙意識を体験後は、今度は人間関係という試練を通して

 

さらに厳格に頑迷な自我を砕いて社会性や円満な人格を練る厳しい修行を施されている。

 

( ヨガナンダ聖者が師事したお師匠に当たる導師は、自我の利己性やわがままに妥協がなく
とてつもなく厳しく容赦なく心を暴き容赦なく精神の鞭という形の鉄槌をくだす・・)

 

お師匠は内弟子たちには特に厳しかったようでして

 

自我の慰めを求めて僧院に入門したような方は、
だらしなく、かつ我儘な自我を砕かれることを含めた精神修行や
粗食で慎ましい食事や厳しい僧院生活などにも耐えられず
ほうほうのていで逃げ出し脱落した方々もあまりに多かったらしいです。

 

このあたりも天風先生の修行時代と似ている・・

 

天風先生( 中村三郎 )もヨガの村と言われていて修行者のグループがいたゴルケ村で
カリアッパ聖者を中心にした修行が施されてる中で多くの修行者が聖者と生活を共にしても・・
80歳を越えてすらクンバハカ( 聖なる体勢 )すら悟れない修行者が多いなかで
天風先生( 中村三郎 )の場合は1年と半年足らず・・最速でクンバハカ体勢を自得し、
ヨガナンダ聖者同様、並みいる修行者から抜きん出ていったし

 

厳しい修行という点でも修行中にカリアッパ聖者から
首がひん曲がるほどぶん殴られることが多かったと聞いています。

 

その後、ヨガナンダ聖者の場合は27歳の時、
1920年10月の国際宗教自由主義者会議のインド代表に選ばれ
講演依頼されたことを契機に同年8月に渡米し
「 宗教の科学 」という口演をした後も

 

ヨガナンダ聖者の父親からの経済支援( 多額の小切手 )のお陰で一時滞在する。

 

その後においても、紆余曲折を経ていて

 

例えば1925年時には銀行に200ドルしかなくなって

 

経済的に困窮したこともあったそうですが

 

不思議な導きにより後援してくださる方も出て物価の高いアメリカに滞在でき
講演活動や瞑想主体の高度なヨガの普及活動ができるようになる。
さらに世界旅行にでかけ、その当時の・・内的なものが卓越した魅力的な方に会いまくり・・
その際にヨーロッパ各国( の聖賢が過ごした所縁のある地域 )も歴訪しインドに一時帰国

 

そうして再び渡米している。

 

主な行路は

 

インド( 17歳で導師に逢う ) → ( ビルマ経由で)1914年 日本に3日ほど滞在
 ※旅行のきっかけがこの御方のお兄さんの死と前後した時期でして
  直感的に、その現実から一時退避したい衝動に駆られての海外旅行だったそうです。
 ですので少し複雑な気分ですが初めての海外旅行先が日本だったのは日本人としてなんだか嬉しい・・・

 

 →(上海経由で)インド → アメリカ( ボストン滞在 ) →アメリカ各州講演 →アメリカ( ロサンゼルスを本拠に )
 →メキシコ →アメリカ( ニューヨーク )→イギリス( ロンドン )→スコットランド→ドイツ( コナースロイト〜アイヒシュタット )
 →オランダ、スイスのアルプス地方経由でイタリア( アッシジ )→ギリシャ( アテネ )→パレスチナ( ベツレヘム、ゲッセマネ、オリブ山 )
 →エジプト ( カイロのピラミッド )→インド( ボンベイ、セランポール、ランチ、南インド、ワルダー、カルカッタ等 )
 →イギリス( ロンドン )→以降は、アメリカのロサンゼルスを本拠に人間解放の科学を教える

 

 

お二方とも、内外の試練を経て、示し合わせたように、ほぼ同時期

( 1910年〜1911年 )に導師に遭って高度なヨーガを直伝で学んでいる

 

( 1911年〜1914年がインドにおける修行としても時期的に同じ地域にいらして、
オーバーラップと申しますか、ほぼ被った時期 
 ただし、同じインドでも、お一人はインドの繁華街にある無名の素朴な僧院で、もう一人は
ヨガナンダ聖者が心から願って叶わなかったインドのヒマラヤ山脈の一角
カンチェンジュンガ山の麓のヨガの村という違いはある )

 

 

お二方とも、ガリガリに痩せていたのがヨーガの導師に遭って急激に頑健になっている

 

お一人は、奔馬性肺結核で当時の世界的権威の医者に見放され、
いつ死んでもおかしくない・・体もガリガリに痩せていたのが、導師の導きと食事指導さらにはヒマラヤ修行であれよあれよという間に回復

 

 

もうお一人も、胃弱で、いくら食べても太れない・・ガリ痩せしていたのが、導師の導きで目方が急激に増え逞しくなっている
( Before→Afterの証拠写真あり ※「 あるヨギの自叙伝 」に掲載された16才のヨガナンダの写真<p77>と
22才のヨガナンダの写真<p108>を比較してみるとよいです。

 

 私も生まれつきの胃弱で虚弱質でして、学生時代から道徳的で倫理的な生活を標榜し
心がけたことは心がけたのですが
 精神主義、理想主義では、いろんな煩悶を整理できるわけもなく
 神経も過敏化し、いろんなことに苦しく、すり減り、さらにやつれていきガリガリ・・
40s前半〜半ばまでガリ痩せしたことがあるんです。

 

 

 ですので生身の実体験をもって体感的にわかるんですが・・

 

 ヨガナンダ聖者の変わりようを見て、骨格からして、こんなに変わるものなのか?

 

と自分の目を疑うほど驚いたのを覚えてます。

 

  なのでp117下段〜p118上段の記述には信憑性があると思っています。 
本を持ってる方・・あるいは、持ってなくとも、この本も公共の図書館で借りれるはずなので、お疑いなら確認してみるとよいです )

 

 

まあ、この本も、そのキャリアを疑い出したらキリがないわけで、

 

疑念に陥ったら際限がなくなると思います・・

 

そ・・その気持ちや疑念はわかる・・

 

 

そういう方にひとつ・・簡単なアドバイス

 

 

 こういう「 導師 」とされる方って、あまりにも有名になっていくと、
奇跡だ・・なんだとワーワー騒がれて、誘惑が多くなり浮つくのか

 

その後の生活が次第に乱れていき後に背徳的なスキャンダルになったり
上げ下げして大衆の購買意欲をそそらせる・・
売り上げ至上主義のために事実でないことも歪曲し
所謂でっち上げたりすることもある
非良心的な手法を取る、ごく一部のマスコミ誌の手法の餌食にされて

 

徹底的に粗探しされ

 

有名になったばっかりに醜聞で賑わすってことが、よくある・・あるあるパターンなんですが

 

 

 

このお方は、いろんな手段を駆使して英語サイトなども調べまくって
(私も)粗を探したけれども、天晴なくらい粗が見あたらない・・

 

真剣に調べた範囲では

 

本当に、その生活が「 言行一致 」だったようでして
まさに語ったとおりの素朴で模範的生き方を体現
それを貫いていたという生活史実がある。

 

 

それともう一つ・・簡単に確かめられる事実もある。

 

 

 この方がお亡くなりになるほんの1時間前のお写真を見たらよいです。
( 「 あるヨギ・・」の最終ページに、まぎれもない客観的事実を示す史料として掲載されている )

 

 このお方は・・

 

( 行を完成したヨギにはよくあることらしいのですが・・ )

 

 ご自分の人生の終わり(の日時)を、あらかじめ察しており、

 

この写真が撮影された1時間後に逝去されていますが・・

 

これが、ご逝去一時間前の人間の微笑みなのだろうか?

 

と驚き刮目せざるを得ない

 

 

( 死期を察している僅か1時間前に )

 

 まるで、これから途方もなく楽しいとこに旅に行く( 帰還する )ような

 

神々しいまでの深い微笑を湛えて、それを静かに受け容れています。

 

 

 

私事で恐縮ですが・・

 

私の尊敬する祖母は私が3歳の時にがんで亡くなったのですが

 

それを看取った両親の話では・・末期の頃は、体も小さくなり
モルヒネ投与しても見てても動悸がするくらい辛そうだったと
幾度も聞かされています。

 

それで私も「 理想的な逝き方 」とかにも思いをはせるようになって

 

小さい頃から死ぬ瞬間、自分は何を考え、何を思い何を感じるのだろうか?
とかに思いをはせるという凡そ少年らしくない´老成した考え´をするようになっていったというのもあります。

 

( だから私の場合、学生の当時から生活がストイック過ぎて浮いてまして
「 わかどしより( 若年寄 )」等という不名誉なあだ名までつけられてたんで )

 

 

 

 

 

私事はさておき

 

 

これ( 死 )については

 

 

禅を極めたとされている一休禅師ですら

 

死の間際に

 

「 昨日まで人のことよと思いしに今日は我が身か こいつ たまらぬ 」
という辞世の句を詠んでいます。

 

 

一休禅師のごとき高僧でも「 死 」は「 こいつたまらぬ 」という世界
というのがリアルな現実です。

 

 

 

 

 

 

そういうのを踏まえても、ヨガナンダという御方が、どういうレベルの御方か、
この一事だけでも推察できるのではないかと・・

 

巻末資料にあるような振る舞いだった事跡が残ってるだけではなく、
他にも、そのご遺体が死後20日たっても生き生きしていて
腐敗や分解の兆候すら見せず、その顔は神々しい光に輝いていたとのこと。

 

ヨガナンダ聖者と全く利害関係のないロサンゼルスの遺体安置所のハリー・ロー所長が、

 

前例のない事態に驚き感動し勢いあまって

 

ヨガナンダ聖者の設立した団体に、わざわざ手紙まで送って寄こしたという
後世の方のために客観考察できる公式資料もあります。
( まさに語ったとおりの生き方を体現して、
なおかつ、何らかの天的なものがそこにないと、こういう奇跡は起こらないでしょう )

 

 

それにヨガナンダ聖者まで行きますと、
もはや信仰・・´信じる´というレベルを超えている・・

 

 

 

何らかの信仰を持っているという方は、宗派を問わないなら世界中に、ごまん・・
否、何十億人という単位でいると思いますが

 

 

この御方の場合は、信じる、信じないという議論の余地すらもない・・・

 

´知っている´´体全体で体験している´という言葉がふさわしいと思ってます。

 

 

 

 

 

私は、書籍以外、( 書籍以上 )のことは知りませんが・・

 

この公にされてる事実にフォーカスし、ただ素直に認めるだけでも、奇跡の一つを肉眼の目で確認できる。

 

 別に無理にあれこれ理屈つけたり、疑ったりする必要もないんじゃないでしょうか?

 

 

  肉眼の目ではっきり見ることのできる公的証拠のある生ける奇跡でしょう。

 

 

 

 

このことからも、「 真のヨギ 」としてのこの方の歴史的位置付けは、
今後心ある方が、その作業を粛々としていくのでしょうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

お二方とも、なぜか・・ほぼ同時期( 1914年7月 )に転機を迎えている

 

お一人は、大学で学位を受けた後、1914年7月に卒業後

 

大手鉄道会社の要職に就いていた父親のコネで

 

管理職のポストが用意され世俗的栄達の道は拓かれてたのに、全く興味がないと、さっさと断り
( 宇宙意識を体験したら、そうなってしまうのでしょうけど )
脱俗し、僧侶になる決意をし、それを師に認められ、生涯に渡り脱俗生活を貫いているのに対し

 

 

 もう一方は、密航の時効のこともあり軍事スパイをしていたキャリアを買われて孫文の腹心として第二次辛亥革命に協力・・革命が頓挫し、そのプロセスで1914年7月頃に一時、こっそり日本に帰り、密航の時効が切れて後は、日本に正式帰国し、思いっきり世俗の人として銀行経営したり別荘を幾つも持ったりして、社会的名士・・世俗的成功者として十分活躍している。

 

 

 

お二方とも、そのプロセスは違いますが・・なぜか・・ほぼ同時期

( 1919年〜1920年 )に団体を設立し、その公益性を後にそれぞれの国に公式に認められている

 

 

お二方の設立した団体は、組織的宣伝を一切したことがない・・むしろ、一切宣伝しない・・という方針であるにも関わらず、その馥郁たる香りが広がることを何人も押しとどめられない・・いつの間にか、静々と広がって今に至っている

 

 

 

お二方とも猛獣にすら好かれる人格的磁力を身につけている

 

 お一人は、まだ飼い馴らされてない・・素人が近寄ると唸り声をあげて威嚇するような虎たちがいる檻に入って、
虎の頭をぺしぺし叩いても虎にガブリと咬みつかれない
( 証拠写真が、しっかり残ってるらしい・・私は見たことはないですが・・ )

 

 もう一人も、巨大な鰐( わに )の背中に、まるで遊具みたいに、にこやかに乗っかっても
ワニから危害を加えられない( 証拠写真あり・・you tubeにアップされていました )

 

 

 

微妙なシンメトリーになってることについて

 

 

 

 

次にシンメトリーになってる項目を列挙すると

 

 

 

 

●お一人は、幼少の頃から俗世のことに全く興味がなく世間的野心を越えたとこに強い情熱があり
ヒマラヤの洞窟で瞑想修行することに恋焦がれ
 家族を愛していたけれども、それ以上に真理探究に燃え
家出を何度も繰り返してまでしてヒマラヤでの修行を目指してたのに、それが叶わなかった。

 

( 千里眼の力もある導師の御一人から、お前にとってのヒマラヤの洞窟は、お前の家の小さな部屋の中だと諭されている )

 

 

それなのに、もう御一人は、大名の孫の出自で、幼少の頃から俗世にどっぷりヒマラヤのヒの字も考えたことすらなかったのに、
 難病がきっかけで、ここまで弱くなるのか?というくらい弱く過敏になった心のことで悩み苦しみ、悲運に心を揺さぶられ、いたぶられ
元の強い心の半分でも取り戻したいと発心し、その方法を探すプロセスで世界の2/3を探し回ることになり( 求めてもないのに )奇縁でヒマラヤ第三の高峰カンチェンジュンガの麓のヨガの村( ゴルケ村 )で瞑想修行することになった。

 

●先に言及したように、お二方とも、なぜか・・ほぼ同時期( 1914年7月 )に転機を迎えているわけですが、その後の人生選択や人生行路がシンメトリックになっている

 

お一人は、大学で学位を受けた後、1914年7月に脱俗し、幼少の頃からの流れで僧侶になる決意をし、それを導師に認められ、生涯に渡り脱俗生活を貫いて社会的にも成功はしていても、ご自身は慎ましい簡素な生活を送っているのに対し

 

 もう一方の御方は、大学で学位を取得はせず中途退学し軍事探偵を志願し、難病になった後に奇縁でヒマラヤ修行することになり1914年7月頃に日本に帰り、あれだけの厳しい修行をなさって心の強さを取り戻し当時の多くの方が亡くなった奔馬性肺結核も癒え大悟したから、そのまま脱俗かと思いきや・・
  1914年7月以降・・辛亥革命に参加したり思いっきり世俗の人として銀行経営したり別荘を幾つも持ったり
御大尽遊びにふけって豪遊をしたり社会的名士・・世俗的成功者として十分活躍
している。

 

 その後、気楽の気持ちで人生に行き詰まってノイローゼになった人とかの人生相談に乗ったりして・・
  会社経営と遊びの合間にそういうボランティア的なことを気楽な気持ちで為さってたらしいですが

 

 直前まで銀行の頭取まで為さって名鑑に乗ってたような方で、悠々自適だったのに

 

1919年43歳の時に、突如として財産整理し、自分だけの悟り、自分だけの幸福に止めず

 

いきなり上野公園で大道説法を始めてまして

 

 

ままならない世の中において

 

意志と腹の力が弱り感情や感覚の統御が出来なくなって心が弱る原因の解明や

 

その生命哲学の体系化・・さらには普通の人でも元気になって奏功が出やすい組み立ても解き明かし

 

以来50年、お亡くなりになるまで粉骨砕身、人々の生命の蘇りのために全国を口演して回っている・・

 

 こういう経緯やプロセスに照らしてみると天風哲人の心身統一法のほうが( 有名無名に関係なく )すそ野が広く

 

なじみ易く、万人向けで届きやすいのかな・・という気はしています。

 

「あるヨギの自叙伝」にすぐにスパークして即座に生活化できるような方もいらっしゃるかもしれないので、これも私の思い込みかもしれないけれども。

 

 

 

●お二方ともアメリカを目指してた路程があるわけですが・・
 一方はアメリカに解を求めて深刻な決意をして教えてもらいに行ったけど、そこに解はなかった。(;^_^A
 箸にも棒にもかからない・・痒いとこに手が届かない返答で失望しアメリカを去り
 もうお一人は、命がけの深刻な決意をしてアメリカに解を与えに行ってる。

 

より詳しく書くならお一人は、17歳から導師の元で修行し念願だった宇宙意識を体験し
その後も円満な人格を作るための厳しい自己陶冶の修行をこなした後・・
物質至上的な考えが浸透しつつあって、物質科学文明の最先端の国であったアメリカで
自分を見失わないよう命がけの決意をし
1920年にインドから単身アメリカに渡ってアメリカに解を与えに行き、
アメリカの各都市を講演して回り
東洋の思想や古代インドの叡智とキリスト教との深いとこにおける一致点を明示し西洋人にも
なじみ易い形に調律し自己実現を果たすためのヨーガ瞑想、ヨーガ科学の普及に全精魂を尽くしたのに対し

 

もうお一人は、死病の苦しさやひたひたと迫る死の恐怖におびえ心のことで喘ぎ苦しんで・・
どうせ死ぬにしろ・・死ぬ前に、せめて元の心の強さの半分でもよいから強さを取り戻したいと思い立ち

 

国内の医者や当代一流とされる各宗派の宗教家、禅僧含め識者に教えを請うが
片っ端から本末転倒な返事で解は得られない。

 

悩んでたところ、たまたまアメリカのニューソート系の自己啓発作家の本を読むに至り
これに感動し、こんな素晴らしい本を書く作家なら
きっと艱難辛苦に遇っても揺さぶられない頼もしい強い心を取り戻すのに
いい知恵を授けてくれると思い起ち
アメリカに解を求めて教えてもらうために深刻な決意をし密航してまでしてアメリカに渡航したけれど
箸にも棒にもならないような、つれない返事で、その作家からあしらわれ失望し
アメリカを去らざるを得なかったというのが、微妙なシンメトリーになってます。

 

 

 

その後、天風師はヨーロッパでも、その解を探し回り・・ことごとく失望させられ・・
その挙句インドで導師のもと、厳しい修行を経て言外のものを大悟しインドで解を体得し
生命が蘇り、心の強さも蘇ることになる。

 

 その後、日本に帰ってからは、

 

日本で活躍しながら、( 人の心が弱り消極化する原因を含めて解明に力を尽くし )
自身の修行体験をつぶさに検討しヨーガの骨子のところを選り抜き
生命が生命らしくある条件を喝破し、ご自身の生命経験に照らし
その他の心理的技法を組み合わせた実際的心身統一行法で

 

常人では、とても堪え得ないような厳しい修行がなくとも
強く尊く生き生きした張りのある心‥人格を作って生きがいある日々を送れることを確信し
それ以降は、古代インドの叡智を結果にコミットする見切りの良さで一般人にも手の届く形にし・・
さらには、日本人の得意技・・お家芸の日本化し、その行法を日本人に伝授することに力を入れた。

 

アメリカ在住の世界的大富豪に懇請され何十億というお金を積まれてもアメリカに行かず
頑として断り 日本において自身も熱心に実践しつつ口演三昧の生活をし
心身統一行法の普及と啓蒙に誠心誠意を尽くしている。

 

 

 

 

●市販されているパラマハンサ・ヨガナンダ関連の著書を吟味的に読んで理解できる範囲で言及するなら、

 

 これらの書は、中世社会を乗りこえせしめた人間の理性や知性、近代が生んだ合理主義精神や
医学、薬学はじめテクノロジーや経済的なことに対し一定の理解を示した現実的で謙虚な記述になっています。

 

例えば「 心の力が充分に強くなるまでは、常識的で標準的方法
< 薬、医学的処置 >を決して無視してはいけない 」という言及や
お金を正直に、そして上手に儲ける術は神を見つける技法についで重要な能力として扱っていて
現実的です。

 

その一方で、そういう合理主義や進歩的で科学的手法を
形而上の視野を拓くためにも用い生き方に反映すべき・・
というのを暗に主張した記述が多い書でして

 

眉間の少し上の奥の意志( Will Power )の座に対する言及や
内的喜びに浸り留まる瞑想行
に対してウェイトがかかっていて、
瞑想で得た悦びを日常生活に織り込むことを勧めておられるのに対し、

 

 天風哲人の口述書のほうが庶民の手に届きやすい・・と申したらよいのか・・

 

眉間意識の言及も、もちろんあり
眉間の奥の松果体を活性化することが心身の統御、監督に重要であることも喝破してますが

 

それだけに止まらず生命力が弱り生命が生命らしくない状態に陥り氣の力が弱り

 

潜在意識が汚れて感じせしめる心のアンテナがおかしくなって

 

精神を統一せしめる権力のある意志も弱り

 

腹も弱り心が過敏になって生きる力が弱ったような方が、

 

 

どのようにしたら認知様式に関わってるところの感じせしめる心のアンテナの調子を戻し

 

ごく普通の人が、如何にしたら、ごく普通に意志の力と生命力を取り戻して

 

普通に心が強く清く尊くなるのか?という方法を編み出しています。

 

 

 

 

心が弱りに弱って消極化する原因を生命の次元で明確化し
心を取り扱う権能のある意志の力を渙発し
煥発した意志の力で心を積極化し自律神経系を整える行法を心身が弱る原因に対する対処法として

 

体を訓練的に無理なく鍛えることも併せてセットで組み立てているのが特徴的で画期的でもあります。

 

 

 

更に特筆すべきは日々の生活に密着した洗練された行法として

 

特別な資質のある方のみならず普通の方でも手に届きやすい形で編まれているというのが特徴でして

 

 神経反射のレギュレート等の下腹( 腹感覚 )で刺激を鎮めることや・・

 

さらに一歩進んでプラナヤマ呼吸などで腹を練って感受性を磨き´活かす力´を受け容れやすく、
ちょっとやそっとのことじゃ揺さぶられない胆のすわった腹にする・・

 

そうしてバランスよく人格陶冶を為し、より優れた人になっていく方法も提示しています・・

 

 クンバハカや日常のことをしてる際に
「 下腹を( 人知れず )深く吐く完全呼吸で練って脳機構を変える 」
ということへの意識づけ的言及も割に多い
・・

 

これは、やはり腹を大事にしてきた日本人ゆえでしょうか?
私としては、どっちも大事なのかな・・と考えています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と言うことで、最後に実直な感想を含めて簡単にまとめますが、こういうのを並列的にリサーチしていくうちに

 

何かあの時代( 1900年代初頭以降 )の地球規模の大きなうねりと言いますか・・
国や民族・・人種やら宗教を越えた・・そういうの一次元飛び越えた・・

 

何かはかり知れない人智では、はかれない超越的起源があって

 

高次の導きみたいのが、大きくそこに働いてるような感じがし

 

畏怖を感じたと申しますか・・

 

 

特に・・丁度同じ時期( 1910年〜1911年 )・・検証できる客観資料によると
ヨガナンダ聖者が17歳1910年にインドのベナレスで
中村天風先生が1911年35歳でカイロのホテルで

 

お二方とも導かれるように・・まるで示し合わせたように
世間では名も知られてないけれども真のヨギともいえるヨーガの導師にそれぞれ導かれ
同じ時期( 1911〜1914 )にインドで修行し、古代のインドの叡智が注ぎ込まれるに至り・・

 

そのお二方は東西に分かれて・・一方の御方は西洋のアメリカ人に馴染みやすく
理解されやすい形としてキリスト教との一致点を発見させる形で

 

 

他方の御方はアジアにおいていち早く近代化に成功し

 

飛躍的に、その国際的地位を向上させた日本において

 

その古代のインドの叡智を日本化し庶民にも届く形に昇華し
おすそ分けするための活動をしてるということ。

 

 

 

 その後、もう何かお互い連絡、連携し合ってたんじゃないか?

 

知り合いじゃないか?としか言えないと申しますか?!

 

 ほぼ同時期1914年7月に転機を迎え、その後の人生の選択や行路は違ってきて、

 

 

 連絡し合ったかのように・・

 

 私は、世俗的栄達の道は十分開けてるけれども脱俗の道を歩んで、
キリスト教が普及している西欧社会で科学教育を受けた誠実な実業家や
篤実なクリスチャンで特に選りすぐりの上根の方をさらに進化させるようにしよう・・

 

 あなたは、優れた( 上根の )方は、もちろん世の中の大多数を占める‥
いわゆる・・このサイトを執筆してる私みたいな
 ごくごく普通の人を立て直す道を歩んで、
そういう方を底から支え立て直すように
力を尽くすように協力しよう・・というような感じで分岐してまして・・

 

 示し合わせたように、お一人は( 書籍を読んで入念に検査した限りでは )
導師の元で修行しながら( 修行に熱心過ぎて授業をさぼりがちだったのに )
奇跡的な成り行きで卒業試験にパスし大学の学位を取得後
父親のコネで大きな鉄道会社の管理職のポストが用意されてたのに

 

( 8歳くらいから瞑想修行に明け暮れ
宇宙意識を17〜18歳で体験してしまったら
世俗的な事に興味を心底感じなくなるはずで、さもありなんですけど )
さっさと断り、脱俗し生活が綺麗で非常に清らかな方に向けて・・と申しますか・・
準備の整った方に向けた瞑想行法に重きを置いたものとして編制してるのに対して

 

 

もうお一人は、インドで修行後、世俗の道を歩み、どっぷり漬かったところから、
そういう煩悩や執着的悩み、欲望の奴隷になってる方々にそっと寄り添う形で
生命哲学や行法を発見し奏功が出やすいように編んで
インドのヨーガを包含させつつ日本化( 東洋化 )してまして

 

 

ほぼ同時期である( 1919年、1920年 )に、

 

それぞれ、後年に、その有益性や公益性が国に公認される団体を設立してます。

 

 その後も組織的宣伝など一切してない・・むしろ組織的な宣伝など禁じてたにも関わらず、
その香りが拡がっていき、やがて、その公益性や効力をそれぞれの国が後に公式に認めてまして、それぞれの国の習俗や民族的背景や気質・・に馴染みやすい方法として、それぞれ( 一切組織的宣伝行為などしなかったのに )普及してきて現在に至ってるというのが奇妙でして、

 

根本主体と表現したらよいのか?Something Greatと表現すべきか?表現に困難を感じますが
人智を超えた何らかの生ける存在が、お二方の人生の背後で糸を引いて導いて

 

( 宗教とか教義とかぶっ飛ばして )お二方を導くだけでなく、お二方を通して関わった人々を啓発しようとしてるようにしか見えない・・

 

いやいや・・このシンメトリーと共通性は、とても偶然とは思えない・・というのが実直な感想です。

 

 

 

 

こういう動きがあるというのは裏返せば地球規模の大きな変革期というような時代圏に入ってる

 

という観方もできるのではないでしょうか?

 

 

 

このような時期は、佳いことばかりでは決してなく

 

 

様々に隠れていた問題(個人も社会も)が噴出してくるとされています。

 

 

そうなってくると、なんだか暗くなりそうですが

 

 

´生みの苦しみ´と思って乗り越える決意が大事なのではないかと考えます。

 

 

 

 

ちなみに

 

今の日本人って、頭脳智に恵まれた方ですらも

 

下腹の力が抜け腰に精気が漲ってない・・腹が弱って冷えて・・ほんと呆れるくらい腰抜けが多いらしい・・です。

 

 

 

 

 

勢いがあって清新な雰囲気が漂って日本が上り調子だった頃( 明治中期〜後期 )に日本を牽引し
その後の日本の飛躍の礎になった人材って、裕福でなく下級士族や庶民出身で
貧しくても向学心、志がべらぼうに強い・・ハングリー精神旺盛の方々が多かったわけですが、

 

そういう人材って、もう目が輝いて生き生きしてるし皆、意志が強く志操堅固で
冷水行など何らかの形で下腹を練って学業だけでなく肉体練磨の修練をしており、
その心も大きい・・脳幹も強い・・・生物種として適応力があり強い。

 

その才覚だけでなく腰がどんと据わって貧しくても向学心抜群で
胆識やら度胸・・生命の馬鹿力が尋常じゃなかった・・という印象が強いです。

 

意志を鍛え下腹を練ったら,腸は賢いので、その機能が戻れば連動して頭も勘もぐんとよくなる気がします。
なので、「 日がまた昇る 」にはハングリー精神のある若者が貪欲に学べるような機会、教育を充実させ
天風哲人の生命哲学やその行法等をそれぞれの立場で実践することが鍵で、必要条件ではないかと漠然と思っています。

 

 

 

 とにもかくにも世の中の大部分の方々が感覚や感情の奴隷になっている・・

 

ヨガナンダ聖者が仰ってるように

 

世間はいわば精神病院のようなもの・・

 

ある人は嫉妬の病にかかっていて
他人のあら捜しを好んだり

 

ある人は怒りや憎悪や情慾の病に罹っている

 

 

彼らは皆、悪習慣と感情の犠牲者・・

 

こういう雰囲気下にあって心を取り締まっていくのは容易ではないと思います。

 

それに、こういったインターネット時代においては、( 情報遮断力をつけないと )目移りもしやすく
消極的刺激も非常に多い・・刺激過多に陥り、情報も錯綜し情報に振り回され迷いやすいわけで
判断に必要な情報を特定することすら困難で、各種情報を比較・処理する手法すらも確立されていないので
情報オーバーロードを生み出し、情報疲労症候群なるストレスまで問題にされてる始末です。

 

 

 そういう趨勢の中で、高い道徳性と純潔性を自らに課して、

 

それを前提に実践するというのは容易ではないですが、

 

そうとは言え、いろんな問題が噴出し社会が目まぐるしく変貌を遂げてる中で、

 

 

本質を見失うことなく

 

人間は、本来どうあり、どうなれば幸せになれるのだろうか?

 

というのを改めて本質のとこから問い直す書としても役立つのではないか?と観ています。

 

今後、これらの書物群の重要性は、一層増していくのではないでしょうか?