「 あるヨギの自叙伝 」と「 成功の実現 」との比較考証 ( 歴史の観点から )
天風哲人の口演録をまとめた「 成功の実現 」等の口述書や「 あるヨギの自叙伝 」は、
求めてる方にとっては、信じられないような値千金の本です。
私自身の体験に照らしてみても
( あの当時も求道的指向性はあったと思ってまして、私も口述書に出会い
口述書の実践&模索経由で「 あるヨギの自叙伝 」に出会ったときは
なぜ?天風先生やヨガナンダ聖者がご存命で活動なさってる時に
私は生まれ合わせることができなかったんだろう・・
なんとまあ、自身に運と徳がないことだ・・と悲しく・・かつ残念無念に思ったことがあるのですが
もし仮に、そうだったとしたら
お二方とも「 ヨギ 」と言う事も出来ると思うのですが
このお二人の著書やお二人が解明したメソッドを平面的に俯瞰し
段差を埋めるための実践研究を、なさった方は私が知る限り、いらっしゃらないので
この分野は未踏領域でして、私みたいのでもできる役割として打ち込む機会もなかったろうし
( ごく一般の方でも可能な )運命更改のルート探索と開拓という事について
本の内容を精査、吟味し( 同じ土俵に上げて )メソッドの研究をする機会も決して無かったろう・・
と思い直して自分を慰めたことがあります。
研究し打ち込めば打ち込むほど二つのメソッドは相補性があると私は考えるに至ってますので・・
そうとは言え歴史的観点やその背景から観たら
「 成功の実現などの口述書 」のほうが日本人向けと言いますかで届きやすいと思われます。
なぜなら「 あるヨギの自叙伝 」は( 私が理解した範囲で述べるなら )
自分の欲や関心を透き通った水晶のように映し出す鏡のような役割を果たす書でして、
先に指摘したように清いと申しますか・・純度が高く
自己統御がきちんとできている方が、さらに高い段階を目指す求道者向けの書です。
さらに私たち日本人にとって良くないことにはキリストの教えを建国の精神的支柱とした国家として
紆余曲折を経ながらも、その建国の熱い理想と志・・自助の開拓精神・・
他民族、多人種を受け容れる懐の深さ・・さらには合理主義的な勤勉さで
物質面や科学面で、歴史に類例を見ないほどのスピードで繁栄をしてきたアメリカで出版することを意図し
アメリカ国民(の啓蒙)を最優先したかたちで執筆されています。
なおアメリカという国は当時のイギリス国教会の腐敗ぶり、退廃ぶりに呆れ果て失望した、ごく少数の清廉な方々で
信仰の自由と理想をアメリカという新天地に求めてイギリスから渡っていった方々を根としたとされていますが
( これを否定する日本の方もいてピルグリム・ファーザーズは、所詮は神話でしかない‥
実際は違うのでは?嘘っぱちという指摘と問題定義を為さる方々も日本人の一部にいらっしゃって
ものすごい難癖と批判を展開為さってる方々がいるのも私は知っています )
ピルグリム・ファーザーズが当時のイギリス国教会の腐敗に嫌気を感じ熱い志を抱いてアメリカに渡った初期の頃は、公的精神にも溢れていて自分たちの家を建てる前に最初に教会を建て次に学校を建てた・・そうして最後に自分たちの住む慎ましい家を建てた‥と言う逸話のほうが、
私自身も相当に史実調査し分析したうえで、こちらのほうが正しいという説のほうが分<ぶ>があると思ってまして
ピルグリム・ファーザーズが新天地に降り立った当初は土着のインディアンたちと仲良く共存共栄で平和的に暮らしていたという史実の方が客観的に観て
正しいと私は認識しています。
またアメリカ史も少し研究したことがあったのですが、アメリカ史を俯瞰してみてもアメリカは独立後に、たった200年足らずで奇跡の発展を遂げたのは
客観的な史実として顕れたものを観ても否定のできない厳然とした事実です。
日本人の方で、どういう意図があるか知りませんが、
そういうふうにしてアメリカの歴史を誹謗し偏向的に中傷するのは、同じ日本人として、いい気分になれないし
史実やエビデンスに照らして、それは当たらない・・おかしいと思ったので、あえて、このページでも言及しておきました。
ただし、アメリカという国だって、どんどんズレていき、やがてはインディアンから容赦なく土地を奪い取り、彼らの生活基盤を根こそぎ奪っていった史実があることも否定しません。アメリカ最大の内戦である南北戦争を経て執行されることになった奴隷解放宣言だって血みどろの闘いと犠牲を経て達成されたわけですから・・簡単に´一括り´にして論じることが出来ない側面があることも理解しているつもりですので念のため。
ヨガナンダは、ヨーガや東洋思想とキリスト教の最底流<原盤のところ>に
ひたひたと流れるものの本質的一致を伝え知らせるために、アメリカに渡り、
1920〜1935年にかけてアメリカの主要都市で講演して回ってます。
恐らく、こういった講演で、啓蒙するとともに、
より真剣に求める気持ちのある方も探しておられたんだと思いますが
各州で開催されたヨガナンダの講演を聞いた大勢の方々の中でも、ただの好奇心や物珍しさで聴いただけじゃない・・
熱心で真剣に求めるごく少数の方々( 当時 )のために蒙を溶解させ形而上の視野を段階的に拓いていく科学的瞑想法を伝授するための活動もしてまして・・
そういう活動が落ち着いた頃に、この本を精魂を込めて執筆し出版しています。
( 1946年に初版がアメリカで発行されている。
日本での「 あるヨギ 」の初版発行は、それから遅れること約40年の1983年
どんだけ時間がかかってるんだ・・ってくらい時間がかかってる。
ちなみに「 成功の実現 」等の口述書の初版が1988年 )
ヨガナンダが講演して回った1920年〜1935年当時のアメリカは、物質文明の最先端の国として物質的繁栄を謳歌しており
( 資本主義の矛盾点や弊害が露呈しつつあった頃ですが )
社会の雰囲気的にも相当に健全で清新、清廉なものも漲ってた時代だったのじゃないかと・・
そういうのもあってヨガナンダジの講演は、当時のアメリカの方から、( 人種や教義的な軋轢 )を越えたところで
ごく一部の方からは伝統的なキリスト教教義に合わないということで異端視されたりもしたそうですが・・
良心的で篤実で魂に渇きを持ち、求め方が切実で科学教育も受けて素朴なクリスチャンの方々
( 当時は、ごくごく少数 )に、新鮮な感動をもって受け入れられていった
という資料も( 調査したら )残っていました。
そういう経緯や背景上から当然、その本はキリスト教国家において
そういうキリスト教的な文化に馴染んでひたむきに修養してきた方に向けて、
より受け入れられやすいように準備され書かれ出版されたものですので バイブル的要素がとても濃いです。
( お読みになった方はお気づきのようにバイブルの聖句からの引用が、これでもか!ってくらい非常に多い )
とにかく、バイブル的要素やキリスト教の基本的考えみたいのが前提にあって、その要素が濃いので・・
そうなると日本人には( 歴史背景的に )馴染みがたい・・というのは、必然でして・・
入り難いのは当たり前です。
バイブル全体を旧約、新約通しで1度も読んだことすらない日本人は意外に多いんじゃないかと・・
かと言って、いくらバイブルを熱心に読んでる日本人の方がいたとしても
「 あるヨギの自叙伝 」の場合はキリストを「 ヨギ 」として捉える観方で述べてるとこもあるので
ガチガチ、コテコテの保守的キリスト教信徒の場合ですと、恐らく、この書は入り難いかもしれないです。
なぜなら伝統的なキリスト教教義に馴れている方でしたら
イエス・キリストのみが「 唯一神の一人息子で、他は皆、罪人<つみびと>である 」という主張と観方が伝統的キリスト教においては主流なので
そういう切り口でヨガナンダジの書を読むと恐らく異和感なるものが大きいと思う・・
そういう意味では「 成功の実現 」等の口述書を読んで、この本から何かを感得し、実践継続してるような方でしたら、むしろ、バイブル云々を差し置いて
日本人のほうが「 あるヨギの自叙伝 」の真価を再発見するのかもしれません。
それに、この「 あるヨギの自叙伝 」も
「 聖者との二言、三言の当意即妙の問答 」ではっと悟らされるものを濃密に含んでいます。
口述書においても「 成功の実現 」第6章 われとは何ぞや 等を読んだ際に
その章の後半で、インド修行中に交わされた
「 中村三郎に投げかけられた聖者の質問やその答えを三郎が導くプロセスで交わされた
聖者との2、3の会話 」に、はっとさせられた方も多いと思います。
( 厳しい修行をして本当に悟った原体験がないと、
大したこともやってない方でもはっとさせられるような・・考えてちゃ絶対わからないような・・思ったり考えたり、感じたりする心ではないとこでピンとこさせる・・こういうエピソードを入れ込めないと思います )
こういった気づきは世俗を絶って長年厳しい修業に耐え抜いてきた高僧ですらも、
本当に悟った方から誘導され指摘されなきゃ、なかなかハッと氣づけない、とてつもない何か・・・に当たるらしいですが・・
こういった短くて簡単な問答で、はっとさせられ深いものを感得させるしかけが、「 あるヨギの自叙伝 」にも内蔵されています。
なんたって聖者中の聖者が直に書き下ろした珍しい本です。
普通は、聖者は、こういうのを直で書きませんから。
お弟子が、「 師匠は、こう語った・・」という伝聞の本ではありません。
中村三郎が師事したカリアッパ聖者と同等か、それ以上の覚者が直接語ったというのが
とてつもなく貴重で珍しいとこと言えます。
これも何らかの時代の要請というのがあったんだと思います。
ですので、「 口述書 」で、この醍醐味に味を占めた方は、きっと、この「 あるヨギの自叙伝 」でも大いに気づかされて
そういう教義とか、組織とかを越えたとこの共通基盤のとこで
生かす力の根源に触れ生き生きした生命力も蘇り心境も高め上げられ世界が拡がる可能率が高まるのではないかと思いますから。
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