こんだけやったのに何らの成果もなかった・・信じられない・・と被害者意識・・恨みと不満の塊みたいになってる方のために
半年に1回くらい、天風哲人関係で、どういうことがテーマになってるんだろう・・というリサーチを兼ねて某巨大掲示板を覗くことがあるんですが・・
それを、ちらっと速読したら
恐らく、もう心身統一行法の実践を諦めちゃった方なんでしょうけども
「 天風哲人のキャリアは真っ赤な嘘・・学歴詐称・・経歴も嘘 」と信じてる方もいて、
それを信じたい方の恨み?と言いますか負の感情に溢れたすごい記述もあり、
ものすごい文字数を割いて、論述してる方がいました。
ざっくり速読すると、それに賛同してる方も結構いるようでした。
なぜ?こういう恨みがましい負の感情を持つようになったのか?という事に純粋な興味を持ちました。
私は、そのキャリアや体験したことは嘘とは、とても思えない・・
中村三郎のアメリカ行きもヒマラヤ修行も真っ赤な嘘という前提でいくと・・
心は迷いに陥りやすいし、昨日考えてたことが今日には変わったり、すぐころころ変わる・・
運命に組み敷かれて悩んだり、弱音はいたり、恐れたり、傷ついたり、ねたんだり、
卑屈になって恨んだり・・時に疲れたりする。
ただね・・そういった弱音はいたり愚痴ったり憎んだりすることもある心の思いは、心を俯瞰できる新しい「 われ 」とは別もんだ。
心も体も、どちらも吾の生命用具なんだ・・それを尊く強く作っていく必要があるんだよ・・
愚痴ったり、卑劣で下劣なこと思ったり、恐れたり、辛がったり、恨んだり、嫉んだり・・それはそれで・・鎮まり難い時もあろうけども
誰であろうが人間だったら高尚なものが植え付けられてんだから、そういう方向に振れやすい心を新たに作って、すでに植え付けられてる高尚なものと接続し治めるように・・・
というインド哲学に酷似した内容を
なぜ?20世紀初頭のあの時代に知って・・
誰でもわかるような平易な言葉にして、べらんめー口調で噛み砕いて語れるのか??
否・・そこからさらにぐっと踏み込んで
その心と体をひとつにまとめて使う行法として、
インド哲学的内容を、さらにひとつ推し進め洗練し日本化した内容として語れるのか?
直に導師の元で手ほどきを受け修行した方じゃないと到底語れないような
生々しいインドでの修行体験を、なぜ?詳細、細密に語れるのか??等
もし、嘘と仮定したとき・・疑問が、もうどんどん湧き上がって
これを否定してきて、論理破綻が起きるわけでして、、、
私から言わせると・・キャリアが嘘だとしたら、むしろ、そっちのほうが驚く・・(;^_^A
優れた師との出会いや解明の苦闘もなく
あんまり修養が出来てないような凡夫で
( 日々にブツブツ文句を言いがちで弱音をぐだぐだ吐くことの多い・・
不平不満や愚痴や恨み言が多い・・ )
そういった、ごく一般の人でも、それなりに実践すれば、
少しずつ心的態度が強く尊くなって、それなりに心( 腹 )も出来て、
そういう弱音や愚痴を吐き出さず、
治めれるようになるためのシンプルでリアリスティックな方法を
体系化できるとはとても思えない。
それだけじゃなく、ごくごく一般の人でも、厳しい修行をしてきた高僧でしか味わえないような、
ある種の「 悟りの境涯 」に至らせ、生まれ変わったような生き方ができるような内容として実際的かつ段階的に組み立てることが出来てるって時点で、、、
そのキャリアが真っ赤な嘘って言われて、ものすごい論陣張られても・・
あのキャリアが嘘と仮定したら、そっちのほうが無理筋で、到底こんなことを組み立てることが出来るとは思えないんで・・
ある意味・・精神的に八方塞がりになって苦痛に喘ぎ泥沼のドロドロの泥の底・・
苦痛と苦悶にまみれ精神に光明の消えた真っ暗闇の地獄の6丁目くらいのとこを喘ぎながら
何とかならないか?と助言を求めても
誰も手を差し伸べてくれない・・
高いとこから自分で悟れと
ただHow to sayで口先で言われるだけ
そういうアドバイスに涙をにじませ、やるせない気持ちを抱えてフラフラ・・ヘロヘロになって、さらに尋ね歩いても
どこ行っても上から目線で、ただHow to sayで口先で言われるだけで、どうやったらいいかわからない・・
もう力も尽き果てそうでがっくり肩を落とす・・涙も出ない・・諦めるか‥もう無理
そういう心境圏を幾度も潜り抜け・・苦闘し抜いて地獄(の極)も天国(の極)も大きく味わう・・
そうして凡夫・凡庶の浅ましさや愚劣さ・・・どろどろした執着
コンプレックスに対する執着や痛み・・
いけるとこまで、やったけど・・いいとこまでいった気はするが駄目だったという・・涙も枯れて出ないような悲哀感とか喪失感・・・失望感・・ひがみ根性・・そういう凡庶の痛みというか哀切、諦め・・嘆き、卑劣さも十分知悉した上で・・
そこを突破し「 悟った原体験 」を保有し、
なおかつ、「 悟った原体験 」を決して自分だけのものにしないで、そこから、降りて
さらに凡庶の痛み、浅ましさ、愚かさ、下劣さ、卑劣さを十分踏まえた上で、そういう方でも高いレベルに引き上げる実際法を解明しようと熱誠し苦闘した方じゃないと・・
ああいう、凡夫、凡庶の気持ちに、そっと寄り添った・・痒いとこに手が届くシンプルなものを実際方法として緻密に体系化できて、そういう方の心境レベルを高め得ないだろうし平易に語れないと思う・・
ということで
「 天風哲人のキャリアは真っ赤な嘘・・学歴詐称・・経歴も嘘 」と信じて愚痴や恨みを吐き、周りの方の勇気も挫く・・恐らく実践も止めてる方は
むしろ、なんで、こういう恨みがましい負の感情を持つようになったのか?という事に対する純粋な興味があるわけで・・割とこの記事を書いてる私と似てて、同じ穴のムジナだと思うんで、どうして、そういうふうに思うに至ったか?どういう実践を、どういう動機で、何のためにやってきたのか?
なんで天風は詐欺だと信じたいと思ったのか?そういう負の感情を吐き出してしまい、言葉を、きちんと治められない・・そういう力がないのは何故なのか? 天風哲人の実践体系や目指すとこのものが理解できてるのか?
等、その経緯を後学のために知りたいくらいです。
そういうのを知ることで、同じ失敗を繰り返す人が減るかもしれない。
そういう負の感情・・妬みや僻み、不信等・・そういう方向に振れがちな心を、、、少しずつ・・
しかし確実に、しっかり治める力をつけていく実際行法が心身統一行法だと私は理解してるので・・
こういうのを妄りに誰もが閲覧できるとこに吐き出して治める力がないことを明らかにしてる時点で、実践してないことを証明してるということがわかるわけだけども。
なお
こんだけやったのに私には何らの成果もなかった・・と被害者意識・・恨みの塊みたいになってる方が、もし、このブログ読者の中に、いたとするなら、
( そういう方が、このブログを読んでる読者層に、いるかどうかわからないけども )
そういう縁があったんだから、もう一度、なぜ?何のために口述書等に書かれてる心身統一行法を自分はやろうと思ったのか?
その動機や何を目指してやってたのか?何を成果と見てるか?その動機は本当に正しいものだったか?
というコミットメント的なもの、原点に当たるものを静かに心を鎮めて思い返すとよいです。
成果が出なかった理由がわかってズレを修正し原点に帰れるはずです。多分・・