「 あるヨギの自叙伝 」と「 成功の実現 」との比較考証 ( 歴史の観点から )

天風哲人の口演録をまとめた「 成功の実現 」等の口述書や「 あるヨギの自叙伝 」は、

 

求めてる方にとっては、信じられないような値千金の本です。

 

 

 どちらも、どっかを変えないといけないのだが、どうしていいかわからない。

 

いろんなしがらみに絡み取られて

 

ぬるま湯のような鈍い痛みを抱え、乏しい生命力で・・先細りの擦り減る生活を送ることを余儀なくされていて、

 

このままだと、ジリ貧になっていくのが目に見えてる・・
だのに、何をどうやったらいいかわからない・・といったときに、

 

口述書のほうは実際生活で生命の質が向上するように奏功が出やすい心身の訓練法を編制していまして行じることで、その生命の質や振動力が高まるルートで・・

 

 

 

「あるヨギ」のほうは、心を超えた次元にアプローチする日々の瞑想に重心をかけて、はかり知れない平安や喜びに入りやすくなり、

 

そうなることで( 日常意識で生活してる際にも )心が満たされない感覚に巻き込まれ難くなり
   心をやわらかく喜びで満たしやすくできて落ち着きやすくなることで肉体や神経系統も調子がよくなり、わがまま放題になりがちな感覚の束縛から解放され、心が出来事に巻き込まれ難くなる・・
心が落ち着きを取り戻すことで惑わされ難くなり冷静な判断ができるようになって難事を淡々と越えていくというルートで

 

 

 

 

それぞれアプローチは異なりますが、結果的に生活を引き締め突破するエネルギーを秘めた高次元の書であることは間違いないです。

 

 

 

 

例えば・・ビートルズのメンバーの一人だったジョージ・ハリスン・・
ジョージハリスンとかは、「 あるヨギの自叙伝 」 に出会ってなかったら今の人生はない。
くたばっていたか、最低の人間になっていたはず。 不毛な人生にならず、意味を与えてくれた。 と公言してたらしいですから・・

 

 

 

 

 

 

そんな具合に多くの方の生命に革命をもたらし、生活を密に引き締めることに成功させるきっかけになってきた名著です。

 

 

ただし歴史的観点やその背景から観たら

 

 「 成功の実現などの口述書 」のほうが日本人向けと言いますかで届きやすいと思われます。

 

なぜなら「 あるヨギの自叙伝 」は( 私が理解した範囲で述べるなら )

 

自分の欲や関心を透き通った水晶のように映し出す鏡のような役割を果たす書でして、

 

先に指摘したように清いと申しますか・・純度が高く求道者向けの書です。

 

 

さらに私たち日本人にとって良くないことにはキリストの教えを建国の精神的支柱とした国家として、
紆余曲折を経ながらも、その建国の熱い理想と志・・自助の開拓精神・・他民族、多人種を受け容れる懐の深さ・・さらには合理主義的な勤勉さで、たった200年足らずで奇跡ともいえる繁栄をしてきたアメリカで出版することを意図しアメリカ国民(の啓蒙)を最優先したかたちで執筆されています。

 

 ヨガナンダは、ヨーガや東洋思想とキリスト教の最底流<原盤のところ>に
ひたひたと流れるものの本質的一致を伝え知らせるために、アメリカに渡り、

 

1920〜1935年にかけてアメリカの主要都市で講演して回ってます。

 

 

恐らく、こういった講演で、啓蒙するとともに、

 

 より真剣に求める気持ちのある方も探しておられたんだと思いますが

 

 

 各州で開催されたヨガナンダの講演を聞いた大勢の方々の中でも、ただの好奇心や物珍しさで聴いただけじゃない・・

 

 熱心で真剣に求めるごく少数の方々( 当時 )のために蒙を溶解させ形而上の視野を段階的に拓いていく科学的瞑想法を伝授するための活動もしてまして・・

 

そういう活動が落ち着いた頃に、この本を執筆し出版しています。

 

( 1946年に初版がアメリカで発行されている。

 

 日本での「 あるヨギ 」の初版発行は、それから遅れること約40年の1983年
 どんだけ時間がかかってるんだ・・ってくらい時間がかかってる。

 

   ちなみに「 成功の実現 」等の口述書の初版が1988年 )

 

 

 

 

 ヨガナンダが講演して回った1920年〜1935年当時のアメリカは、物質文明の最先端の国として物質的繁栄を謳歌しており

 

 ( 資本主義の矛盾点や弊害が露呈しつつあった頃ですが )

 

社会の雰囲気的にも相当に健全で清新、清廉なものも漲ってた時代だったのじゃないかと・・

 

 そういうのもあってヨガナンダジの講演は、当時のアメリカの方から、( 人種や教義的な軋轢 )を越えたところで、
良心的で篤実で魂に渇きを持ち、求め方が切実で科学教育も受けて素朴なクリスチャンの方々( 当時は、ごくごく少数 )に、新鮮な感動をもって受け入れられていったという資料も( 調査したら )残っていました。

 

 

 そういう経緯や背景上から当然、その本はキリスト教国家において、そういうキリスト教的な文化に馴染んで修養してきた方に向けて、

 

より受け入れられやすいように準備され書かれ出版されたものですので バイブル的要素がとても濃いです。
( お読みになった方はお気づきのようにバイブルの聖句からの引用が、これでもか!ってくらい非常に多い ) 

 

 

 

 

 

 とにかく、バイブル的要素やキリスト教の基本的考えみたいのが前提にあって、その要素が濃いので・・

 

 そうなると日本人には( 歴史背景的に )馴染みがたい・・というのは、必然でして・・

 

入り難いのは当たり前です。

 

 バイブル全体を通しで1度も読んだことのない日本人は多いんじゃないかと・・

 

 

 

かと言って、いくらバイブルを熱心に読んでる日本人の方がいたとしても

 

 

キリストを「 ヨギ 」として捉える観方で述べてるとこもあるので、この書は入り難いかもしれないです。

 

 

 

 

そういう使命や歴史の観点から観ると日本人には、この本は馴染み難いかもしれませんが

 

 

しかし「 成功の実現 」等の口述書を読んで、この本から何かを感得し、実践継続してるような方でしたら、むしろ、バイブル云々を差し置いても

 

「 ヨギの生き方 」という針穴を通すようなルートから、組織上のこだわりとか、教義上の軋轢とか、超えたとこに、強い憧憬を感じ

 

むしろ、伝統的なキリスト教に馴れた西欧の方よりも日本人のほうが「 あるヨギの自叙伝 」の真価を再発見するのかもしれません。

 

 

 

それに、この「 あるヨギの自叙伝 」も

 

  「 聖者との二言、三言の当意即妙の問答 」ではっと悟らされるものを濃密に含んでいます。

 

 

 口述書においても「 成功の実現 」第6章 われとは何ぞや 等を読んだ際に

 

その章の後半で、インド修行中に交わされた
「 中村三郎に投げかけられた聖者の質問やその答えを三郎が導くプロセスで交わされた
聖者との2、3の会話 」に、はっとさせられた方も多いと思います。

 

( 厳しい修行をして本当に悟った原体験がないと、

 

    大したこともやってない方でもはっとさせられるような・・考えてちゃ絶対わからないような・・思ったり考えたり、感じたりする心ではないとこでピンとこさせる・・こういうエピソードを入れ込めないと思います )

 

 

こういった気づきは世俗を絶って長年厳しい修業に耐え抜いてきた高僧ですらも、

 

 本当に悟った方から誘導され指摘されなきゃ、なかなかハッと氣づけない、とてつもない何か・・・に当たるらしいですが・・

 

 

 

こういった短くて簡単な問答で、はっとさせられ深いものを感得させるしかけが、「 あるヨギの自叙伝 」にも内蔵されています。

 

なんたって聖者中の聖者が直に書き下ろした珍しい本です。

 

普通は、聖者は、こういうのを直で書きませんから。

 

お弟子が、「 師匠は、こう語った・・」という伝聞の本ではありません。

 

 

何らかの時代の要請というのがあったんだと思います。

 

 

 

 

 

 

ですので、「 口述書 」で、この醍醐味に味を占めた方は、きっと、この「 あるヨギの自叙伝 」でも大いに気づかされて

 

そういう教義とか、組織とかを越えたとこの共通基盤のとこで

 

生かす力の根源に触れ生き生きした生命力も蘇り心境も高め上げられ世界が拡がる可能率が高まるのではないかと思いますから。

 

 

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